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	<title>次世代情報都市みらい &#187; 安全保障</title>
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		<title>警察とは何か</title>
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		<pubDate>Thu, 28 May 2009 14:08:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>齊藤 貴義</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会科学]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障]]></category>
		<category><![CDATA[警察]]></category>

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		<description><![CDATA[社会の中での警察用語 警察・・・ 広義には、公共の安寧秩序の維持、事故や犯罪の危険から個人や財産を保護することを意味する。狭義には、犯罪の予防や摘発を含めて、公共の秩序と安寧を保持し、法律を執行する責任を持つ公務員の組織 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>社会の中での警察用語<a name="social"></a></h3>
<p><strong class="kyou">警察</strong>・・・ 広義には、公共の安寧秩序の維持、事故や犯罪の危険から個人や財産を保護することを意味する。狭義には、犯罪の予防や摘発を含めて、公共の秩序と安寧を保持し、法律を執行する責任を持つ公務員の組織体を指す。行政法学上は、社会公共の秩序を維持するために、一般統治権に基づき、国民に命令、強制し、その自然の自由を制限する作用と説かれている。実定法上は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の 取締りその他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする」（警察法）と規定されている。なお、「警察」という言葉は、明治時代に「警戒査察」を省略して使われたのが起源といわれている。</p>
<hr size="2" />
<p><strong class="kyou">日比谷焼打事件</strong>・・・ 1905年９月５日、日露戦争の講和条約に反対する講話問題同志連合会など９団体が、日比谷公園で条約調印反対の「国民大会」を開くことを決定していた。 これに対し警視庁は大会の開催阻止を決定、日比谷公園を封鎖した。集まった３万人もの群衆は警察の不法な封鎖に反発し、柵を破壊して公園内に殺到した。大会終了後、群衆は二重橋前で警官隊と衝突。演説会が予定されていた新富座でも、群衆が警察の解散命令に反発して乱闘となった。さらに群衆は、国民新聞社・ 内務大臣官邸なども襲撃したが、この時、巡査が抜刀して斬りつけ、群衆の怒りはさらに高まった。群衆はさらに、警察署２カ所を襲撃し、東京市内の８割にの ぼる258カ所の交番所・派出所を破壊した。６日には戒厳令が施行され、軍隊が出動した。この日比谷焼打事件で、死者は17人、検束者は2000人にも上った。事件直後、各新聞は一斉に警察の弾圧政策を批判し、警視庁廃止論もわき起こった。</p>
<p>この事件の背景には、講和条約への人々の憤激以外に、庶民生活の隅々まで強権的介入をするようになってきた警察制度に対する強い不満と恐れもあったと言われる。日比谷焼打事件に強い衝撃を受けた政府や警察官僚は、事件を徹底的に検証し、新たな大衆運動に対して警戒を厳しくすると共に、「警察思想」の民衆への普及、公安に害がない場合の不干渉主義、 私服巡査の活用による密偵活動などの措置を考案した。</p>
<hr size="2" />
<p><strong class="kyou">米騒動</strong>・・・ 1918年、シベリア出兵などの影響で米価の高騰に苦しんでいた民衆が、全国各地で米屋、資産家の住宅、警察などを襲撃した。この米騒動は警察力だけでは鎮圧できず、全国120カ所で軍隊も出動することになった。しかし、騒動の中で、日比谷焼打事件の教訓が活かされた事例が多数報告されている。制服警官が民衆に暴力を振るうよりも言葉による説得を重視する一方、私服警官は騒動の中に入り込み首謀者を特定して群衆に隠れた場所で逮捕した。さらに、各地の青年団・在郷軍人会・消防組などを中心とする「自衛団」を警察協力組織として活用し、騒動の広まりを防止した。</p>
<hr size="2" />
<p><strong class="kyou">「民衆の警察化、警察の民衆化」</strong>・・・ 1921年、警察官僚の松井茂が雑誌『太陽』に発表した論文のタイトル。松井は、民衆にとって警察が怖れの対象であることに危機感を抱き、警官が民衆に対して「親切丁寧」であるとともに、民衆にも「我々国民の警察である」という意識を芽生えさせて民衆の中に警察への「同情者」を増やしていく必要性を唱え た。大正デモクラシーの機運の高まりと共に警察のあり方も揺れており、民衆との距離を埋めていく必要があった。この後警察は、全国で交通安全キャンペーンの展開、小学校の児童を招いての警察署見学、社会奉仕日を設定して各地で奉仕活動、警察展覧会の実施、人事相談所の開設、民間の有志による警察協力団体の 組織化などを行った。これにより警察が民衆にとって身近な存在であることを印象づけ、民衆を積極的に秩序維持に協力させていくことに成功した。</p>
<hr size="2" />
<p><strong class="kyou">関東大震災</strong>・・・ 1923年９月１日、関東地方でマグニチュード７．９の大地震が発生した。この地震によって関東各地の警察機構も一時マヒ状態になった。政府は戒厳令を施行し、被災者の救援と治安維持のために軍隊を出動させた。その一方、民衆の側にも「自警団」と呼ばれる団体が自発的に組織された。自警団は関東各地で3689もの数が組織されたといわれる。自警団に参加した人々は、被災者への救援活動を行う一方、日本刀・棍棒・竹槍・ノコギリ・銃などの武器を所持し、 町村の要所に非常線を張って不審者へ検問した。震災の被害による恐怖と混乱の中で、「朝鮮人が爆弾を投げている」とか「朝鮮人が井戸に毒物を混入した」などのデマが広まり、自警団は朝鮮人を発見すると虐殺を行った。自警団によって殺害された朝鮮人の総数は、6000人にものぼると言われる。</p>
<p>警察は、デマの拡大を阻止する一方、自警団への統制を行って治安維持のために積極的に活用した。自警団の方も警察へ各種の協力を行い、朝鮮人を虐殺した人々の多くが震災後に不起訴となった。また、自警団のような地域の警察協力組織はかたちを変えて震災後も残され、その後の警察行政が広く民衆にまで貫徹する基礎となった。「民衆の警察化、警察の民衆化」を唱えていた松井は、この自警団を高く評価し、「国民皆兵」であると共に「国民皆警察」である必要があると説いた。</p>
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		<title>国際関係用語</title>
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		<pubDate>Sat, 16 May 2009 13:55:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>齊藤 貴義</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際関係]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障]]></category>

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		<description><![CDATA[国際関係概念用語 国際社会・・・国際社会の特徴は、国内社会と比較した場合、以下の６点に要約される。（１）国内社会にはその社会共通の道徳的判断を反映した法律が存在するが、国際社会にはそのような法律は存在しない。（２）国内社 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>国際関係概念用語</h3>
<p><strong>国際社会</strong>・・・国際社会の特徴は、国内社会と比較した場合、以下の６点に要約される。（１）国内社会にはその社会共通の道徳的判断を反映した法律が存在するが、国際社会にはそのような法律は存在しない。（２）国内社会には法律を必要なときに変更するような政治機関が備わっているが、国際社会にはそのような政治機関は存在しない。（３）国内社会には法律の執行に携わる執行機関が存在するが、国際社会にはそのような執行機関は存在しない。（４）国内社会には紛争を法律に従って解決する裁判所が備わっているが、国際社会にはそのような司法機関が十分に備わっていない。（５）国内社会には個人や下位集団の暴力行為を阻止する優越的な公権力が存在しているが、国際社会にはそのような力は存在しない。（６）国内社会には人々がむやみに暴力に訴えるなど、不条理な行動を取ることは余りないという一般的な秩序状態があるが、国際社会にはそのような了解はない（ただし近年では少しずつであるが一部の了解が形成されてきている）。</p>
<p>このように国際社会は、複数の自立的な下位集団によって緩やかに構成され、単一の中心的権威が存在しないために権力が分散している、「無政府的な社会」である。しかし、無政府的な社会であることは、必ずしも無秩序状態を意味しない。国際社会の重要な主体の一つである「国家」は、他の国家や国際機関と様々な結びつきを築くことによって、緩やかではあるが多様な秩序を形成している。</p>
<p><strong>主体</strong>・・・国際関係学における主体とは、以下の要件を兼ね備えた存在である。（１）その存在が明確に識別できること、（２）国際的な舞台で決定し行動する一定の自由を持っていること、（３）他の行動主体と相互作用をし、その行為に影響を与えうること、（４）一定の期間にわたって存続すること。このような主体として、国家、国際機構、ＮＧＯなどがある。</p>
<p><strong>国家</strong>・・・国際関係における「国家」とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことである。国家は意志決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり、その自己完結性は領土と人民に対する排他的な統治として表現される。国家には主権が存在するため、国際社会において、形式的には個々の国家は平等であり、自己の統治について他から制約を加えることは一般的に認められないとされている。しかし、国家の目的は国益の追求にあり、それぞれの国々にはパワー（国力）のばらつきがある。したがって、国際社会における諸国家の形式的平等とは別に、実質的な国家の相互関係の中では、このパワーが大きな影響力を持つ。</p>
<p><strong>国内類推</strong>・・・「国内現象と国際現象には類似性が存在する。特に国内秩序の諸条件は国際秩序とよく似ている。ゆえに、国内的秩序を維持している諸々の制度を国際社会レベルでも実現するべきである」とする考え方のこと。この点については国際政治学の中でも様々な論争があるが、特にイギリス学派が国内類推に対して批判的な立場を取っている。</p>
<p><strong>戦争</strong>・・・政治単位によって互いに向けて行われる組織的暴力。戦争と殺人とを区別するものは、代理的・公的性格にある。つまり、殺害者を代理行為者とする政治単位そのものの象徴的責任である。国家にとっての戦争とは、政策目標を達成するための一つの手段である。国家同士の相互作用にとっての戦争とは、相互の国家の関係や枠組みが決定されていく基本的要因の一つである。国際社会全体にとっての戦争とは、国際社会の無秩序の現れであると同時に、国際社会において秩序を形成していくための一つの手段でもある（ＮＡＴＯによるユーゴスラビア空爆のように）。今日、軍事技術の進歩や国民総動員態勢の確立によって、戦争はその被害を拡大させている。冷戦終結後は世界各地で地域紛争が続出し、様々な悲劇が生じている。戦争をなくしていく国際環境の整備が急務であるといえる。</p>
<h3>分析アプローチ用語</h3>
<p><strong>囚人のジレンマ</strong>・・・ゲーム理論の基本問題の１つ。２人の男が凶悪犯罪の犯人として逮捕されたとする。しかし、この２人の容疑を裏付ける証拠がなかなかあがってこない。そのため、取調官が２人を別々に呼んで、それぞれ次のように言い渡した。</p>
<p>「お前が相棒の罪を自白して相棒が黙秘したままならば、お前は直ちに釈放し、相棒を禁固20年の刑にする。しかし、相棒が自白してお前が黙秘したままならば、お前を禁固20年の刑にする」。「お前達が両方とも同時に自白したならば、両方とも禁固５年の刑にする。もし両方ともずっと黙秘を続けたならば、明確な証拠はないから１年くらいで釈放される」と。</p>
<p>取りうる選択は、「自白」（裏切り）と「黙秘」（協力）の２つしかない。しかも相棒がどういう行動に出るかはまったく知るすべがない。・・・よくよく考えてみると、囚人が「自白」した場合は、最高で無罪、最悪でも５年の刑ですむことがわかる。もし「黙秘」した場合は、最高では１年の刑だが、最悪の場合20年も刑に服することになる。したがって、もし自分のリスクを最大限避ける選択をするならば、「自白」ということになる。相棒も同様のことを考えたとすれば、「自白・自白」で、２人は５年の刑に服することになる。この場合、２人は、与えられた状況の中で自分のリスクを避けるために合理的な行動を取ったが、実は客観的に最も合理的な答えである「黙秘・黙秘」（協力・協力）による１年の刑の可能性は失われてしまっている。</p>
<p>このような囚人のジレンマは、国際関係の中で軍縮交渉の難しさなどを説明するためによく使われる。Ａ国とＢ国が軍縮条約に調印したとしても、現実にそれぞれの国が軍縮をするという保障はない。もし、自国は条約に協力して軍備を縮小したが、相手国は裏切って軍備を隠し持っていた場合、自国の安全は大きく脅かされることになる。したがって、この場合も、与えられた状況の中で最も合理的な選択肢は「裏切り・裏切り」であり、客観的にみて最も合理的な「協力・協力」の選択肢はなかなか達成されないことになる。この囚人のジレンマをいかにして克服していくかが、国際協調の１つのカギとなっている。</p>
<p><strong>合理的選択アプローチ</strong>・・・危機研究の有力な方法論的アプローチの一つに、アリソンの合理的行為者モデル、ブエノ・デ・メスキータの期待効用モデル、パウェルのゲーム論モデルによって代表される「合理的選択アプローチ」がある。これらのモデルでは、国家は順序立てられた選効（例えば、国家の安全、経済的利益、威信）を持つ一枚岩の合理的な意思決定主体として捉えられる。そして、合理的な国家プレイヤーは、不確実性という制約の中で、あらゆる選択肢の便益や費用を慎重に吟味し、期待純便益を最大化するように行動することが前提とされ、分析が進められる（この主体の「合理性」は、行為主体が直面する制約条件とその行動とを論理的に関連づけるために導入された仮定である）。</p>
<p><strong>構成主義的アプローチ</strong>・・・構成主義的アプローチは、国家の選好を、文化的・歴史的文脈の中で醸成されるアイデンティティ、または政策決定に用いられる知識や思想によって、内生的に形成される変数と見なす。構成主義のカテゴリーには代表的なものとして以下の２つのアプローチが内在する。</p>
<p>１．自然法的な構成主義・・・レジーム研究における合理的選択の有用性をほぼ完全に否定しながら、レジームを国際社会の規範的構造の中で捉える社会学的な方法論を提示。このアプローチでは、国々の協力的行為は、合理的アプローチが見なすような効率最大化行為ではなく、共同体の中で間−主観的（inter- subjective）に醸成された集合的アイデンティティから派生した社会的行為であると見なされる。</p>
<p>２．新古典派的な構成主義・・・合理的選択の有用性を否定せず、レジーム形成を促進する要因として、政策に関係する「理念」や「知識」の政策決定者間での共有が重要視される。ゴールドスタインとコヘインによれば、理念が意志決定に影響を及ぼす道は３つある。（１）理念が政策決定に必要な選好や目的と政策を関連づける因果関係という「道標」を供給する場合。（２）合意問題にパレート最適な合意点（多数均衡解）が複数ある時、理念が、政策決定者に対し、その中からある特定の一つを選択することを手助けする「焦点」の役割を果たす場合。（３）理念が「制度化」されて、政策に恒常的に影響を及ぼす場合。国々が新しい共通の知識を習得して学習を行えば、国際協力に不可欠なリアリティについての共通認識、政策の整合性、ひいては利益の調和を国家間で樹立できるようになると考える。</p>
<p>ラショナリスト（従来の合理的選択アプローチを取る側）は、国際政治が客観的に観察できる「モノ」と個人（および個々人に還元されうる集団）から成ると考える。他方、コンストラクティヴィストは、国際政治がルール、規範、原則、文化などの制度から成り、制度によって「モノ」や個人が意味や価値を持つと主張する。たとえば、ある布や歌を国旗や国歌とみなして主権国家を象徴させ、主権国家を「われわれ」のよりどころとし、ある建物を議事堂や裁判所、そして紙片を箱に入れる動作を投票として民主主義を象徴させ、それらを守るべき価値とするのは、すべて制度のなせるわざである。つまり、五感で知覚できる「モノ」は、それ自体ではなく、制度によって「ものをいう」のである。</p>
<h3>国際関係史と学派</h3>
<p><strong>イギリス学派</strong>・・・戦後のロンドン大学を中心に形成された国際政治学の一派。国際社会を概念の中心に議論を展開したのは、Ｍ．ワイトやＣ．Ａ．Ｗマニングがはじめであり、その後Ｈ．ブル、Ｆ．Ｓ．ノーセッジ、英国キール大学のＡ．ジェイムズ、ＬＳＥのＲ．Ｊ．ヴィンセントなどに引き継がれた。イギリス学派のアプローチの特徴は、哲学の「全体論的」な立場にある。つまり、全体はその部分の機械的総和より大きな存在である。国際社会は、それを構成している主権国家などの＜部分＞よりは大きな、何か独自の論理構造をもつ社会であるとみる。</p>
<p>そうした構造として、論者によって重点は異なるが、国際慣習法・戦争法・中立法・不干渉原則・主権（各国の国内法体系が他国の法体系から独立していること）・勢力均衡・外交慣行などが重視される。それらは、数々の政府の変革にもかかわらず、国家そのものの生命をもこえて存続してきた。国際社会の部分たる主権国家の行動も、国際社会として統合させられている国際慣習法やその他一切の社会規範・制度との関連性を無視しては理解できない。広い意味での規範の体系を、そもそもの社会の成立に不可欠な構成要素・無意識的に遵守している構造としてその時とその時代における意味を明らかにしていこうとする考え方は、ポール・リクールの構造主義的解釈学と考え方が一致している。</p>
<p>その他にも、彼らは、国際社会を国内社会とは別個の、国内的類推に依拠する必要のない「秩序」であることを国際関係史から論証しようとする。 また、平和学とか永久平和構想といった、争いを生じさせやすい価値を目的とするユートピア論には批判的である。 さらに、国際事情の大きな問題の理解については、数量分析・行動科学的アプローチを疑問視する。</p>
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		<title>全世界的安全保障（全関東学生雄弁連盟　新人弁論大会弁論原稿）</title>
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		<pubDate>Wed, 13 May 2009 13:44:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>齊藤 貴義</dc:creator>
				<category><![CDATA[プロフィール]]></category>
		<category><![CDATA[大東雄弁会]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障]]></category>
		<category><![CDATA[弁論原稿]]></category>

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		<description><![CDATA[東西冷戦の終結後、世界大戦の危機は大きく遠のきました。それに伴って世界各国は大規模な軍縮にとりかかろうとしています。例えば核兵器をめぐっては、ＮＰＴ（核不拡散条約）やＣＴＢＴ（包括的核実験禁止条約）の交渉が開かれています [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>東西冷戦の終結後、世界大戦の危機は大きく遠のきました。それに伴って世界各国は大規模な軍縮にとりかかろうとしています。例えば核兵器をめぐっては、ＮＰＴ（核不拡散条約）やＣＴＢＴ（包括的核実験禁止条約）の交渉が開かれています。</p>
<p>しかし今年の５月、インドが世界の動きに逆行して核実験を行い、核兵器の保有を宣言、さらにそれに呼応してパキスタンも同様の措置をとりました。このことは、ＮＰＴ体制を根底から崩壊させかねないという懸念もあります。７月上旬にインドは再び核実験を予定しているという情報もありますし、イスラエルやイランといった潜在的核保有国が南アジアの動きに呼応しないとも限りません。さらに、対立関係にあるインド・パキスタン両国による核保有は、偶発的核戦争の危機も含んでいます。両国の核保有の原因となったカシミール領土紛争や中国の脅威を考えると、つまりは各国が個別の安全保障政策をとることは、国際社会全体の安定がくつがえされかねない要因となりうるということであります。</p>
<p>今までは民族自決や内政不干渉の原則、あるいは大国の論理によって、国際社会は各国の個別の軍事政策に口を出すことは制限されてきました。しかし今や経済のグローバル化が進み、一国、一地域の不安定要因が世界経済及び国際社会全体に深刻な影響をもたらすようになりました。そろそろ各国は自国の発展は世界の安定なしにはありえず、それは自国独自の安全保障政策より優先することを自覚するべきです。すなわち、国際社会の意向にそう形で自国の軍事を決定する全世界的安全保障へと発想の転換がせまられているのです。</p>
<p>多くの人はここまで話を聞いた段階でこう考えると思います。現在の世界には国連による平和維持軍が存在し国際社会の意に反する侵略行為に制裁を加え、地域紛争の解決へ乗り出している。その平和維持軍の機構を改善、強化することによって、各国が全世界的安全保障など考えずとも世界の安定は保たれるのではないか、と。しかしそれは大きな間違いです。なぜなら国連平和維持軍は国際社会をゆるがすような軍事行動を未然に阻止することは出来ないからです。たとえば大国の行う核実験や突然の侵略戦争を未然に防ぐことは出来ません。また、高度化する各国の軍事力を抑制するためには、国連は大規模な戦力を常に維持、展開させる必要があり、いずれ限界に達します。そして国連平和維持軍の介入が必ずしも事態の解決へと結びつかないことは、旧ユーゴスラビアやアフリカでの平和維持活動を見ても明らかであります。</p>
<p>国連平和維持活動は、全世界的安全保障の一つの類型であるかもしれません。しかしその機能がもともとは個別的安全保障の維持のためにあり、そして究極的には軍事力という物理的強制力に頼っているために、不完全であり限界があるのです。</p>
<p>核拡散や侵略行為、軍拡競争などを未然に防ぐことが出来ないのは国連の限界の現れであり、そういった個別の国家のエゴのつみかさねが国際社会をますますアナーキーなものにしようとしています。このことは平和を望む各国の国民にとっても、安定を志向する世界経済にとっても重要な脅威であります。現実的に当面は国連平和維持軍の整備、強化と安全保障理事会の地位確立によって世界の安定を守っていくべきですが、そのシステムが限界にさしかかる前に全世界的安全保障の具体的ヴィジョンを描き、それへ向けての段階的なプロセスをふんでいくことが重要であります。</p>
<p>では、その全世界的安全保障の具体的ヴィジョンとは何か。それは、主権の共有であります。つまり、各国が個々に持っている軍事力を世界各国が共同で管理することであります。さらに具体的に申しましょう。まず世界中すべての国に安全保障委員会という機関を設置します。そしてその国ごとに設置された安全保障委員会を各国の国防の中枢にするのです。安全保障委員会には、指揮権以外のすべての軍事に関する決定権を与えます。例えば軍隊の規模やその役割などを安全保障委員会で決定させます。さらにその委員会の構成を、その半数はその国の国民によって選出された代表者達があたるとし、残りの半数を各国の派遣した代表によって構成するとします。つまり、従来は行政府及び立法府集中していた軍事に関する権限を安全保障委員会に付与することにより、各国の個別軍事力を全世界的安全保障コントロールのもとにおくのです。</p>
<p>この安全保障委員会による全世界的安全保障は、従来の国連平和維持活動と比較して、武力紛争や軍拡の未然防止、大国の論理の消滅と軍縮、世界全体の経済発展といった三つの大きな効果をもたらします。一点目の武力紛争や軍拡の未然防止ですが、これは国際社会の意に反する軍事行為や兵器の開発に対し、安全保障委員会の各国代表が共同で拒否権を発動することが出来るため、その防止を実現することが出来るのです。２点目の大国の論理の消滅と軍縮につきましても、安全保障委員会はすべての国に等しく設置され、そこでは大国も小国も等しく一票を持つわけですから、例えば政治や経済の目的達成のために大国が力でもって小国を脅すという行為は阻止されます。阻止されるわけですから、大国は国策遂行のために強大な軍事力を展開させる必要性がなくなり、小国は大国への対抗手段として自国の国防力を強固にする必要性もなくなります。したがって大規模な軍縮が可能となるわけです。そして以上の二点が、国際社会の安定と軍事予算の削減につながり、三点目の世界全体の経済発展の扉を開くのです。</p>
<p>個別的安全保障から全世界的安全保障へ。そのヴィジョンについて今述べましたが、果たしてその安全保障委員会なるものが本当に実現できるか、単なる机上の空論ではないかと思われるかもしれません。しかし私は、必ずや国際社会は全世界的安全保障体制へと到達できると確信しております。なぜなら先程も述べましたように、経済のグローバル化が進展するにつれて、国際社会の全体の利益を考えることがますます重要となってきております。そしてまた、軍事の諸民族による共同管理こそが、国家や民族の自己決定能力を高めることにつながるのではないでしょうか。将来、世界中の諸国家が大国、小国の区別なくそれらのことを強く自覚し、全世界的安全保障へと向かっていくと思います。</p>
<p>個別的安全保障が全世界的安全保障より圧倒的優位に立つ現状にあって、国際社会の潮流は一国一地域によって簡単に変えることができます。軍拡や侵略行為、武力による威圧を防ぐことはできません。しかし、私たちの世界にとって今最も必要なものは何でしょうか。それは、戦車でも戦闘機でも核兵器でも、侵略行為に対して抑止力を行使できない国際社会でもありません。必要なものは、道路であり学校であり病院であります。まだまだそれらが不足している地域はたくさんあります。産業の豊かなめぐみを全世界へいきとどかせる、安定した平和な国際社会こそ必要なのです。そのためには人類は、全世界的安全保障を個々の国家に実行させることが不可欠であります。以上で私の弁論を終わります。ご清聴ありがとうございました。</p>
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		<title>国際政治におけるユートピアニズムとリアリズム</title>
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		<pubDate>Wed, 13 May 2009 13:08:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>齊藤 貴義</dc:creator>
				<category><![CDATA[プロフィール]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障]]></category>

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		<description><![CDATA[１．はじめに 本論は、国際政治におけるユートピアニズムとリアリズムの関係を論じていくことを目的としている。ユートピアニズムとリアリズムの問題は、国際政治に固有のものではない。近代ヨーロッパにおいてユートピアニズムとリアリ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>１．はじめに</h3>
<p>本論は、国際政治におけるユートピアニズムとリアリズムの関係を論じていくことを目的としている。ユートピアニズムとリアリズムの問題は、国際政治に固有のものではない。近代ヨーロッパにおいてユートピアニズムとリアリズムの対立は、トマス・モアとマキアヴェリとの相克から連綿として伝わっている。しかし第一次世界大戦後、理性の主権を信じて国際舞台に登場したＷ．ウィルソンのユートピア的思惟方式の対等とその挫折は、国際政治学においてもいわゆる理想主義と現実主義の思想的系譜が持ち込まれることを示していた。本論では、国際政治学におけるユートピアニズムとリアリズムに関する議論の起点とも言うべきＥ．Ｈ．カーの『危機の二十年』の中での考察を概観しつつ、カーの議論以後の系譜を含めた、リアリズムとユートピアニズムの関係を論考していく。</p>
<h3>２．Ｅ．Ｈ．カーの議論</h3>
<p>カーは思惟体系の基本的パターンを大別して、価値現象を主題とする哲学的方法と、事実現象の分析に傾斜する経験的方法を挙げている。すなわち、ユートピアニズムの特質は、「深浅の差はあれ、根本的には現実を否定して、この現実の代わりに彼のユートピアを打ち立てることが意思のはたらきによってできると信じている」ことにある。一方リアリズムは、「自分では変革することのできないあらかじめ決まっている発展過程の分析にしたがう」立場に立つものである。カーにおいてユートピアニズムは、それ自体経験によって明らかにされていない理想を叙述し、観念の体系化を試みる。それは、事実に内在する諸要素よりも、むしろ欲望原理の発展に関心を持つと解される。リアリズムは、客観的に妥当とする規範よりも、権力現象を包括するリアリティそのものの測定に向かう。このようにして権力動態の発見は、道義への相対主義を導き、究極的には人間の非社会的性格を強調するに至る。</p>
<p>ユートピアニズムは、機能的には二本の柱、すなわち「世論信仰」と「利益調和説」に支えられている。世論信仰とは、世論の無謬性と優越性を信条として国際政治の分野で無批判に再生された主張である。利益調和説とは、個人や弱者が全体に服従する義務は、個と全体の利益一致を唱える予定調和説によって合理的に説明でき、それが国際政治に適用されると、全ての国家は「平和」こそ全く同一の利益を利益を持つもの、という命題が導き出せる考え方である。このユートピアニズムの命運は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の軌跡と一致している。ユートピアニズムを現実に支えていた「世論信仰」と「利益調和説」は、1930年代の反体制的諸事情によって衰徴した。国際連盟の無力化は、世論への信仰を打ち砕いた。平和の名の下に隠蔽されてきた体制派諸国と反体制派諸国との対立は、危機の利益が主張される中で顕在化し、「利益調和説」に終末をもたらした。</p>
<p>一方、リアリズムはユートピアへの反動という形であらわれるとされている。リアリズムの使命とは、ユートピアニズムの欺瞞性を明らかにするところにある。ユートピアニズムの唱える普遍的原理が相対性と功利的本性に彩られていると看破することによって、権力の軌道から逃避しようとする道義の動態を究明するのである。</p>
<p>カーは、これらユートピアニズムとリアリズムの本質的相違ゆえに、健全な政治思考の根拠をこれら両要素に求めなければならない、と主張する。彼の考察は以下の通りである。ユートピアニズムが、特権階層の利益を包み隠す装いとして仕えるだけの、中身のない、しかも許しがたい見せかけのものとなっている場合には、リアリストはその外衣を剥がすために欠かせないはたらきをする。しかし、全くのリアリズムは、いかなる種類の国際社会の成立をも不可能とする露骨な権力闘争をむきだすだけである。今ゆきわたっているユートピアニズムをリアリズムの武器で打倒した上に、我々は我々自身の新しいユートピアを建てる必要がある。だが、そのユートピアもいつかは同じリアリズムの武器によって倒されることになるであろう。人間の意思は、国際秩序の構想においてリアリズムが引き出す論理的帰結を回避することを求め続けることになろう。以上のような考察をもとに彼は、あらゆる政治的事態はユートピアとリアリティという両立しない２つの要素を含んでいるという結論を導き出すのである。</p>
<p>このようなカーの議論は、他方において、ユートピアニズムとリアリズムの絶対的識別、および相互補完関係へと展開する論理的基盤の乏しさが指摘されている。ユートピアニズムとリアリズムは、それぞれ自己の中に他方の要素を内包しているとする議論も存在する。すなわち、ユートピアニズムは、生存のためのパワー志向を何らかの形でその根底に持っており、権力状況と諸国家の勢力拡大に関する熟慮が重要な点において、単なる夢想主義ではなく、リアリズムと内的交錯が存在する。リアリズムには、道義と権力とを全く相反するカテゴリーに区分できるとしたカーの期待に反して、道義それ自体権力の一部である、とする見解がサイードやマキアヴェリの見解の根底に見られる。さらに、倫理はそれ自体が自律性を持ち得ず、権力の従僕となってはじめてその機能を展開するいう主張も、マキアヴェリから始まるリアリズムの考えに存在する。ユートピアニズムとリアリズムは、完全に相反する要素というよりは、むしろ相互に共通部分を保有しつつ、独自に自己を展開する概念と考える方が妥当と言えよう。</p>
<h3>３．Ｅ．Ｈ．カーの議論以降の系譜</h3>
<p>リアリズムにおいては、第二次世界大戦直後、モーゲンソーが政治的リアリズムの概念をつくりあげ、国際政治を国家間のパワーの闘争と論じ、ユートピアニズムを批判した。その後、クラズナー、ギルピン、ウォルツなどが、科学的に洗練されたネオ・リアリズムとという理論へ発展させた。ネオ・リアリズムでは、ユートピアニズム的な要素を取り入れ、政治的リアリズムの弱点を補完しようとした。すなわち、ネオ・リアリズムにおいては、国家は無秩序な状態の中でパワーを追求して闘争を繰り広げるが、その中で生じる国際政治はそれぞれの国、特に大国のパワーの散らばり方、つまり世界の「構造」によって決まるとされている。さらに、大国が国際的諸制度の運営に積極的に参加し、リーダーシップをとることで、自国と国際政治に安定をもたらすと主張されている。</p>
<p>一方、ユートピアニズム的な潮流は戦後になって低調となったが、コヘインやナイなどの相互依存論に影響を与え、レジーム論へと展開する。これらの理論も純粋なユートピアニズム的なものから社会科学的なものへと変質してくるに従い、ネオ・リベラリズムと呼ばれるようになった。そこでは、国際機関に参加した国家は、その法に従うことによって従来の国家概念を拡張し、その結果として、国家主権の力と意義の相対化が行われて各国の協調行動が可能になるとされている。</p>
<p>このように、国際政治を分析する理論としてのユートピアニズムとリアリズムは、相互に対立し、あるいは相互に接近しあいながらも、重要なアプローチとして現代においても意義を失ってはいない。しかし、これら２つの対立軸が有効である範囲において、例えば戦争の生起や国家間の同盟形成といった事象にはリアリズムは有効だが、ＧＡＴＴ（関税及び貿易に関する一般協定）やＷＴＯ（世界貿易機関）などのような国際的協力分野ではユートピアニズムに立脚したリベラズムの議論が有効であるなど、相互の限界性を露呈するというアイロニーを演じることとなった。国際政治における統一理論の形成には、現在のところ至ってはいない。</p>
<p>国際政治分析の限界性を演出するこのアイロニーを克服する鍵は、やはりカーの分析の不備が指摘されたユートピアニズムとリアリズム相互の内的交錯を、正確に摘出することにあるのではないだろうか。相互の議論を検証し、その共通項を分析して新たな理論を模索していことにこそ、多様化する国際政治の事象を解明していく「第三の理論」を形成できる現実的な可能性があると思われる。二項対立の相克の中では、確かにカーが主張するような相互の立場の並立による国際政治分析が唯一の手法であるが、リアリズムとユートピアニズムの対立関係を併存させた状態での中性的な第３極の理論の形成は、相互の理論の相対化をもたらす客観的な基準の出現を意味し、今後のリアリズムとユートピアニズムの理論的な発展においても重要な役割を果たすことができるのである。</p>
<h3>参考文献</h3>
<p>（１）Ｅ．Ｈ．カー『危機の二十年』（岩波書店）<br />
（２）原杉久『国際政治分析　理論と現実』（新評社）<br />
（３）加藤秀次郎・渡邊啓貴（編）『国際政治の基礎知識』（芦書房）</p>
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		<title>安全保障とは何か</title>
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		<pubDate>Fri, 08 May 2009 16:42:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>齊藤 貴義</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会科学]]></category>
		<category><![CDATA[考察]]></category>
		<category><![CDATA[安全保障]]></category>

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		<description><![CDATA[現在、地球上には190もの国家が存在します。国家とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことです。国家は意思決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現在、地球上には190もの<strong>国家</strong>が存在します。国家とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことです。国家は意思決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり、その自己完結性は領土と国民に対する排他的な統治として表現されます。国家によって統治される<strong>国内社会</strong>は、統一的な政府が軍事力を独占して存在するため、一般的には秩序が保たれています。しかし、軍事力を持った諸国家によって構成される<strong>国際社会</strong>は、国内社会と比較して共通の社会的・歴史的・文化的基盤が必ずしも充分に存在せず、秩序を構成する統一的な政府もないので、複数の勢力が軍事力を持って分散している<strong>アナーキー</strong>（無政府的）な社会であると言えます。このため、強者の力を規制する社会的規範が脆弱で、国家間の対立はしばしば実力によって解決されることになります。国家は対内的には秩序をもたらしますが、対外的には不安定をもたらす要因となりうるのです（このことは「<strong>ホッブスのジレンマ</strong>」と呼ばれています）。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-187" title="sec4" src="http://www.mirai-city.org/wp-content/uploads/2009/05/sec4.jpg" alt="sec4" width="200" height="141" />国際社会のこのような状況下では、国家は<strong>パワー</strong>の最大化を目指して行動すると考えられます。国際政治学におけるパワーとは、相手（パワーの客体）の<strong>価値</strong>を （物理的手段によって）剥奪するか、その威嚇を通じて、パワーを行使する側（パワーの主体）が期待する方向へ相手の行動をコントロールすることを指します。例えば、Ａ国が石油資源が豊富な地域を武力制圧しようと考えていたとします。同じくこの油田地帯を狙っているＢ国は、Ａ国に進出されては困るのでＡ国がどんなに頑張っても追いつかないくらい強力な軍備を持つことにしたとします。こうなると、元々Ａ国は「油田地帯に進出することが望ましい」という価値を持っていたわけですが、「Ｂ国と武力衝突すると敗北は必至だから、諦めてＢ国に油田地帯を明け渡した方が望ましい」という価値へと修正される作用が生じま す。このような状況で、Ｂ国はＡ国に対してパワーを行使していると考えられます。つまりパワーとは、「<strong>相手の反応の支配</strong>」なのです。</p>
<p>（なお、少し付け足すと、上記の例ではＡ国もＢ国に対してパワーを行使していると考えられます。なぜなら、Ｂ国は油田地帯へ進出するために、Ａ国を上回る軍事 力を所持することを求められたからです。このことは、単純に「油田地帯へ進出したい」というＢ国の価値に「軍事力を増強しなければならないが」という修正がかかったことを意味します。このように、現実の国際関係では複雑にパワーが交錯していると考えられます）</p>
<p>Ａ．ウォルファーズは、以上の認識を踏まえて、<strong>安全保障</strong>を「<strong><span style="color: #0000cc;">獲得した価値に対する脅威の不在</span></strong>」と定義しています。ウォルファーズの安全保障の定義は、価値に危害が加えられるものとして国家間の軍事問題以外にも、実は経済問題や自然災害、環境問題なども組み入れられる非常に包括的な定義なのですが、基地を中心とした安全保障は一般に軍事問題を中心とすることが多いので、ここではその意味での「獲得さ れた価値」や「脅威」と捉える必要があるでしょう。アナーキーな側面を持つ国際社会では、価値剥奪の可能性が国際社会の利害関係を調整する最後の手段として存在します。このため、国家は自らが築き上げてきた地位や領土、経済資源などを失う不安を常に持っています。国家はできるだけ既得価値を失わないように 心掛け、既得価値が攻撃されることに恐怖を感じます（恐怖は心理的な作用ですが、特に国家の政策決定者に大きな影響を与えます）。</p>
<p>さらに、この点を詳細に検証していくと、<strong>「軍事力や領土を拡大すること」＝「安全保障」とは限らない</strong>ことも分かります。例えばアメリカは自国の安全のために核兵器の開発に成功しましたが、ソ連に脅威を与えることにつながり、ソ連も核兵器を所持するに至りま す。両者が核兵器を持ち、さらに「どちらも軍事大国であり、相手のことを疎ましく思っている。いずれ片方が核攻撃をするのではないか」という潜在的恐怖感が増大することにより、アメリカは核兵器所持以前よりも選択しうる価値が制約されることになりました。19世紀から20世紀初頭にかけてイギリスは植民地 を拡大させましたが、インドの防衛のために新たにエジプトやスーダンにも軍事的影響力を行使する必要が生じてくるなど、既得価値への不安を除去するために 多方面に渡る軍事行動が必要となるようになりました。軍事力や領土の拡大が「価値に対する脅威の除去」につながった事例も数多くありますが、完全にイコールではなく場合によっては不安を拡大させる傾向があることも念頭に置いておく必要があります。</p>
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