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過去のエントリーを復活させる意味

written by 齊藤 貴義 on

私はサイト運営を1998年から続けてきました。
ブログも2003年から書き続けてきました。何回かはてブで1位になったエントリも書いています。

しかし2007年にInnoDBのデータファイルの破損によってデータベース障害が発生し、過去のデータを失ってしまいました(DBのバックアップを取っておけば良かったのですが…。悔やまれます)。そのため、サイトは閉鎖を余儀なくされました。

過去の記事は、Internet Archivesから手作業で掘り起こして順次掲載していっています。過去の記事を掘り起こして復活させているのは、自分の思考を今一度見直すことと、記事を復活させることで何か誰かの役に立つことがあるかもしれない、と期待しているためです。過去の記事であまりに古いものは取り除きますが、今でも有用そうなのは少しずつ復活させていきます。

また最新の時事についてもエントリーをガンガン書いていきたいと思っています。日本のWEBが残念だったかどうかとか、タイムリーなことも時間を見つけて書き記していきたいと思います。

あなたがLinuxを使うべき10の理由

written by 齊藤 貴義 on

(2006年のエントリアーカイブから復活。内容は少し古いです)

あなたがMacを使うべき10の理由お前らがmacを使わないべき10の理由。を受けて。

xglOSは結局のところ、人の好きずきだし、それならば選択肢は多い方がいい。神学論争になっちゃうよりは、自分にあったOSを選択すればいいんじゃない、と思います。それは万人に対しても、WEB制作やプログラミングの世界でも同じ。そんな自分ですが、Macをオススメする記事がネットに出てきたなら、自分もLinux(特にSUSE Linux)をオススメする理由を書いちゃいます。 というかネタです(右の写真は、SUSE LinuxのXglの様子)

LinuxはUnixではない

これ、オススメする大きな理由です。よくLinuxとUnixを混同される方がいるのですが、LinuxはUNIXではありません。LinuxはGNUプロジェクトに沿って発展してきていますが、このプロジェクトは、GNU is Not Unix(GNUはUnixではない)という再帰頭字語から構成されています。Linuxの目指すところは、Unix環境を実現するところにあるのではなく、UNIXライクな環境をフリーで実現させるところです。このフリーとは、無料という意味ではなく、再配布も改造も販売すらも自由という意味です。

この辺は、UNIXの後継を自称する(実際はUNIXそのものは既になく、存在するのは全てUNIX系のOSです)SolarisやMac OS Xとは異なります。LinuxはUNIX系列のOSに対するアンチテーゼから出発しており、UNIXの良い点を取り入れながらも、UNIXとは異なる自由な環境を目指しています。

UNIX系のシステムに関心を抱きながらも、UNIXにはない自由を求める方々にはLinuxがオススメです。ただ、UNIX系とLinuxはそれぞれに別の進化を遂げてきたOSであり、それぞれに固有の利点もあれば欠点もあります。チンパンジーとオラウータンのどちらが生物として優れているかとい う点ではなく、環境や特定条件に応じてそれぞれの特性を発揮すればようにと思います。

Linuxは比較的secureである

最近はLinuxやMacを狙ったウィルスも増えてきており、絶対安全とは言い難いのですが、Windowsほどの数やダメージがないため「比較的」安全です。ただ、セキュリティパッチを当て続ける必要があるのは、UNIX系も含めどのOSであれ同じです。

Linuxコミュニティには大勢の開発者が参加しており、ディストリビューションの差はありますが、脆弱性が発見されても比較的早期にセキュリティ パッチが出ます。セキュリティパッチのリリース速度というのは、OSを検討するときに考慮に入れた方がいい点かもしれません。SUSE Linuxは、YOUというアップデートシステムがあり、Windowsアップデートと同じような感覚でパッチの適用が出来ます(自動化もできます)。

Linuxは良いプログラム環境である

Linuxとは多くの場合、カーネルを共通とする各ディストリビューションの総称として用いられますが、各ディストリビューションには通常、GNU プロジェクトで開発された多くのパッケージが付属しています。その中には開発環境に関するパッケージも多数含まれています。元々Linuxが開発者の中で 育ってきたため、開発者にとって役立つパッケージが沢山あります。例えばSUSE Linuxでも開発に関して何百ものパッケージがインストールCDに含まれています。当然、ApacheもPerlもPythonもRubyもPHPも含まれています。

また、多くの開発ツールに関するプロジェクトのサイトでは、Linuxを想定したパッケージやソースコードを配布しています。必要に応じて、それらのサイトから最新版のパッケージやソースコードをダウンロードして自分のシステムに組み入れることができます。SUSEはヨーロッパでの利用者が多く、開 発の中心メンバーがヨーロッパの人々なサイトでは、SUSE用の独自パッケージを公開していることが多いですね。

Linuxは良いWeb制作環境である

本番WEBサーバーがLinuxというパターンはけっこう多いと思いますが、Linuxを普段からクライアントマシンにしておけば、ほぼ同一条件の環境をローカルにもつくることができます。画像処理にはGIMP(Photoshop やFireworksの基本機能はほぼ使える)が使えますし、HTMLエディタもNvuなどがあります。プログラム環境とデザイン環境の同居という点で、 Linuxはけっこう適しています。FTPやSFTPなどのGUIなソフトも色々ありますので、あとはそのソフトを使って本番環境にアップロードするだけ、という段階まで持ってくることができます。

ただ、UIの点でPhotoshopやFireworks、あるいはDreamweaverなどの商用ソフトに追いつき追い越せているかというと、 それは言い難い面があります。また、グループでデザインを共有して更新ということも弱いですね。ただ、ソフトにお金をかけずに少人数でサイトを更新、とい う目的ならば、Linuxはベストな働きをしてくれます。多くの場合、GIMPを使いこなせてないのはデザイナーの食わず嫌いな面が多い(そしてGIMP で代替できそうな作業を高い商用ソフトで行っている)という印象があります。そしてSUSE Linuxならば、confファイルを書き換えることなく、YaSTからウィザード形式で各種WEB環境の設定が出来ます。

Linuxにはいいsoftwareがたくさんある

何がいいかは人によって好きずきだし、慣れの部分も大きいと思いますが、Linuxでは1,000以上のフリーで開発されたソフトウェアを自分の好みに応じて導入できます。パッケージのインストールやアンインストールもGUIで直感的に行えますし(依存関係とか色々ありますが)、SUSEのYaST やKDEのコントロールセンターから各種ソフトの設定がウィザード形式で行えます。自分にとってベストな環境にとことんこだわってカスタマイズしていくこともできます。

snap6Linuxは画面がきれい

最近までデスクトップLinuxというと、「画面が汚い」「フォントが汚い」などユーザーをがっかりさせることが多かったですが、今はLinuxの デスクトップ環境は飛躍的な変化を遂げています。アンチエイリアスも有効にすることができますし、アンチエイリアスを掛けるモードも選択できます。複数のデスクトップ環境からお好みに応じて選択することができるし、各種デスクトップ環境でテーマを適用させたり、自分好みにデスクトップをカスタマイズしてい くことができます。DVI接続にも対応していますし、NVIDIAやATIなど各種グラフィックカードのドライバも出ています。

ただ、これにも光と陰があって、X Windowの見た目が向上した分、メモリの消費量があがり、美しいデスクトップ環境を実現するにはハードウェアにけっこうな投資をしなくてはなりませ ん。全体の動作にもやはりもっさり感が出てきます。ただ、Linuxはデスクトップ環境を柔軟にカスタマイズしていくことができますし、使っているハード ウェアに応じて適切な画面をつくっていくことができます。この選択肢の多さは、各種OSの中で群を抜いていると思います。

SUSE LinuxにはXglがある

ページ最上部の画像参照。

Linuxはかっこいい

「自由であること」は煩雑な選択や自己責任と表裏一体ではありますが、世界に出現しつつある新しい「秩序」に抵抗する力であることも確かです。一つのOSが市場を独占し、価格をつり上げ、ユーザーを管理して囲い込もうとしています。Linuxはそれに対して、自由を提唱しています。誰もが自由にOS を手に入れることができ、改造することができ、販売することもできます。コンピュータを閉ざされた世界からオープンな世界にしていこうと活動しています。

(これは哲学的なものやスタイルにとどまらず、途上国や中小企業がコンピュータビジネスへの参加機会を押し広げることにつながり、IBMなど大企業のさらなる発展の方向性を与えるなど、実益も生み出しています)

信頼性とコストが要求されるサーバー市場でLinuxとMicrosoftは激戦を繰り広げ、ほぼ引き分けています。サーバー市場での戦いは今後も続くでしょうが、今後の激戦が予想されるのは、おそらくデスクトップ市場でしょう。単一の秩序が勝つか、多様な自由が勝つか。デスクトップの世界でもユー ザーのスタイルが求められています。自由な価値を「かっこいい」と思う人々であれば、Linuxを選択肢に入れるのは良いことではないかと思います。

LinuxはiPodに入れられる

iPodの中にLinuxをインストールすることができます。iPodの中にLinuxをインストールすると、ゲームなど色々なアプリを動かしたり、色々な動画を再生できたりします。PS2やXboxで動作するLinuxもあります。

Linuxには自由とコミュニティがある

Linuxの最大の特徴であり、利点であるのは、自由とコミュニティです。Linuxは自由を目的としてコミュニティベースで開発されているOSで あり、自由に改変したりコミュニティから様々な恩恵を受けることができます。使い込んできたら、コミュニティへフィードバックすれば、ますますLinux やコンピュータの多様な発展に貢献していくことにもつながります。

OSは人や用途によって様々ですし、デュアルブートや仮想化を使うことによって複数のOSを使い分けることができます。OSごとによる機能やアプリ の差は小さくなってきていますし、残されているのは自由を志向するかという理念的な部分と、活用スタイルの部分になってきています。Linuxはその中で も選択肢の一つとして一考の価値に値するのではないかと思います。「べき」とまではいかないですが、オススメです。

ライブドアに復帰したい

written by 齊藤 貴義 on

a9da2ccc体調は一進一退の状況が続いています。少し良くなりつつあるかな。
在宅顧問の仕事で固定収入として月35万円も入ってきています。

ただ、体調が良くなったらライブドアに復帰したいなと思っています。確かにライブドアには色々な限界もあり表から見たイメージと乖離していた部分も沢山あったけれど、その壁に挑戦していた仕事は面白かったと思うし、多くの人に喜ばれるサービスをみんなの力でつくっていくことに少し貢献できた意義は、自分にとって大きかったのかなと思います。

完治したら出戻り申請をしようか検討中です。

右翼と左翼

written by 齊藤 貴義 on

なぜ右翼には低学歴と低所得が多いのか

推論上の飛躍(inferential leap)が多い文章のように思います。まず議論の前提として、右翼・左翼の定義が明確化されておらず、「好戦的であることは、移民に対して排他的であることと並んで、右翼の大きな特徴であり、左翼との大きな違いであると一般に認知されている」などの筆者の印象論から右翼像と左翼像の傍証を試みているにすぎません。

この文章が出しているデータは、外国人労働者に対して排他的な意思を持つことに本人学歴や本人年収と関連性がありそうというデータだけであり、そこから低学歴で低年収な人々が戦争を望んでいる右翼的傾向を持つと推論するには、あまりに多くの飛躍があります。外国人に対して排他的な意見を持つことは、筆者が指摘しているように学歴や年収が低い層が直面する確率が高い単純労働の世界では外国人労働力が彼らの代替可能な労働力として国際競争に立たされているという経済状況による意思の形成であって、右翼思想や戦争に関する意思の形成ではないのです。

またプロレタリア右翼として赤木智弘氏の”「丸山眞男」をひっぱたきたい―31歳フリーター。希望は、戦争。”が引用されていますが、そもそも赤木氏の戦争や日本社会に対する考え方が広く低学歴・低年収の層の考え方と相関しているのか、という重要な論証が一切なく議論が進んでいきます。一度この辺は社会調査で重回帰分析を掛けてみなければ、推論に推論を重ねるという状況に陥るだけではないでしょうか。

つまり本論には日本社会に適用できるという蓋然性が乏しいのです。蓋然性が乏しいまま描かれた右翼像や左翼像は虚像でしかありません。理論には実証が伴わなければなりません。実証データが整っていない中で右翼という心性の問題を浮かび上がらせるのは難しいのです。

(教育社会学などの分野では文化資本の問題をSSM調査・関西調査・関東調査などの社会調査を重回帰分析することで、文化資本と親の学歴などの相関係数を統計的に分析しようとしています。右翼と左翼という心性の問題に関してもこのような社会調査と実証研究の拡充を願っています)

日本社会学会

written by 齊藤 貴義 on

第82回日本社会学会が、2009年10月11日と12日に立教大学で開催されます。
一般研究報告Ⅲ(テーマセッション)の内容は以下の通り。会員ではないけど参加検討しようかな。

【1】テーマ:ハロルド・ガーフィンケルの業績の再評価

(1)コーディネーター:浜日出夫(慶應義塾大学)

(2)趣旨:日本におけるエスノメソドロジー研究は、ここ十年ほどの間に、多くの成果を蓄積してきた。90年代後半以降、日本語のモノグラフも多く出版されるようになり、また日本に研究基盤を持つ研究者が海外に研究成果を発信するようになっている。ハロルド・ガーフィンケルの『エスノメソドロジー研究』の出版から40年を経たいま、このような状況を踏まえ、いま一度ガーフィンケルに立ち戻り、ガーフィンケルの業績を再評価する機会を持ちたいと思う。日本におけるエスノメソドロジー研究は、いくつかの点で独特である。おもに三つの資源を持ち、これらが分離することなく、生産的に刺激し合う環境がある。その三つの資源とは、シェグロフを中心に展開されている会話分析、シャロックやクルターらの(ヴィトゲンシュタイン派の)概念分析、そして現象学の伝統である。これら三つの資源にもとづく現在の研究を、ふたたびガーフィンケルの基本的な考えに差し戻し、今後のエスノメソドロジーの展開の可能性を展望したい。
日常生活を送るための方法論の研究という研究方針は、社会学の根本的な方法論的反省を促すことになった。この研究方針は、現在の状況のなかで、どのような含意を持ったと評価できるのか。エスノメソドロジーは何を達成したのか。このあと、どのような社会学的研究の展開がありうるのか。このようなことを考える機会になればと、考えている。
日本のエスノメソドロジー研究は、すでに海外の様々な地域における研究と共振しながら展開している。今回のテーマセッションでは、日本以外の非英語圏におけるエスノメソドロジー研究者にも積極的な参加を呼びかけたい。最後に、このセッションには、来日を予定しているガーフィンケル本人にも参加いただき討論に加わってもらえればと思っている。したがって、すべての報告は、英語であるか、英訳の配布を伴うものであることが望まれる。

(3)キーワード:ハロルド・ガーフィンケル、エスノメソドロジー、会話分析、概念分析、現象学

【2】テーマ:マンガ研究と現代社会:現代社会を読み解く手立てとしてのマンガの可能性

(1)コーディネーター:茨木 正治(東京情報大学)

(2)趣旨:現代社会が多様な価値・多様な様相・構造を持っていることは論を俟たない。そうした複雑性を持つ社会に生きざるを得ない我々は、どのような手立てを持って接していったらよいのであろうか。そこで、本テーマセッションでは、多様性を持つといわれるマンガというメディアおよび社会学の視点を用いて現代社会の多様性を読み解くことを考える。
 マンガは、多様な対象領域をもつだけでなく、表現形態においても紙媒体や映像媒体その他にいたるまで多種多様である。これに対応してマンガ研究もまた、遅まきながら多様な様相を示している。たとえば、日本社会学会においても、2005年度第78回大会において「マンガ研究と社会学」というテーマセッションを行った。それ以降でも、少女マンガは、様々な領域に対してマジョリティによる「自然化」された視点を超えて、マイノリティの視点や、上記二つの視点を統合した新たな視点を構築している。また、新聞マンガ研究では、地方紙の分析によって、いわゆる「地域分権」型コミュニケーションを作るメディアとして見直されつつある。マンガの内容の分析では、マンガ表現論が提示され実証化の試みがなされている。加えて、産業構造の分析からマンガ制作(送り手)の分野で、また質的研究から多様な読者像に迫る受け手研究などが行われている。
 しかしながら、これらの研究が相互連関を持つまでには至っていない。このためには、基盤となる社会学的認識・理論および方法、もっと広く現代社会を読み解く社会学の諸研究が必要である。たとえば、前述したマンガ産業からの考察では、文化産業論が理論的背景として用いられている。また、内容分析においては、マス・メディア論、コミュニケーション論、文化研究が援用されているが、それぞれの場合とも十分ではない。むしろ、様々な社会学の視点・対象・方法からマンガがどう扱えるのか、それによって現代社会を、従来の社会学的考察とは異なってどのように描き出せるのかを提示したい。それによって、マンガ(研究)・社会学研究そのものが持つ意義についても考察の道を開くことができればと考える。

(3)キーワード:マンガ(研究)、社会学諸理論(アプローチ・視点)、現代社会

【3】テーマ:ライフコースと社会変動:アジアの20−21世紀再考

(1)コーディネーター:山根 真理(愛知教育大学)

(2)趣旨:セッションの趣旨は、アジア諸地域におけるライフコースと歴史的時代のかかわりについて議論する場を設けることをとおして、アジアの20−21世紀を再考する視角を得ることにある。よく知られているように、個人の人生の出来事と歴史過程のかかわりをみる研究は1970年代のアメリカで登場し、G. エルダー、T. ハレブンなどの代表的な著作を生み出してきた。日本でもこの視角は1980年代に定着し、森岡清美、青井和夫、正岡寛司、安藤由美など、多くの研究蓄積がある。しかしアジア諸地域に視点を広げ、人生と歴史的時代のかかわりを包括的に捉える研究は、なされてこなかった。
 このセッションは、上記の認識にもとづいて2007年度から運営してきた科学研究費プロジェクト「アジア諸社会における高齢者のライフコースと社会変動:家族イベントを中心として」の成果を公表するとともに、関心を共有する研究者との討論を通して、テーマにかかわる統合的な視角を得ることを企図して企画するものである。このプロジェクトでは、韓国、中国、日本、フィリピンで、1920年代から1940年代生まれの方を対象にしたライフコースの質問紙調査を、台湾、ベトナム、ミャンマーなどでは、各研究者の問題関心に応じて「人生と時代」を捉えるインテンシブ・インタビュー調査を実施してきている。特に「植民地期」を含む歴史的時代と人生のかかわりを、高齢者の方々に直接伺う機会としては最後であり、貴重な記録だと考えられる。
 セッションの中心的な論点として、二つの論点が予想される。ひとつは出産、子育て、介護など、女性が中心になることが多い家族イベントに焦点を当てることで「アジア諸地域の家族・ジェンダーの伝統と近代」を再考する認識がひらかれることである。いまひとつは、「国」の枠組みを越える移動が人生に与える影響である。植民地支配がなされた時期と、グローバル化がすすむ現代が、「移動と人生」にかかわる二つの焦点的な時期になるであろう。
 テーマに関心のある方々の応募と参加を歓迎します。

(3)キーワード:ライフコース、アジア、家族、ジェンダー、移動

警察とは何か

written by 齊藤 貴義 on

社会の中での警察用語

警察・・・ 広義には、公共の安寧秩序の維持、事故や犯罪の危険から個人や財産を保護することを意味する。狭義には、犯罪の予防や摘発を含めて、公共の秩序と安寧を保持し、法律を執行する責任を持つ公務員の組織体を指す。行政法学上は、社会公共の秩序を維持するために、一般統治権に基づき、国民に命令、強制し、その自然の自由を制限する作用と説かれている。実定法上は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の 取締りその他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする」(警察法)と規定されている。なお、「警察」という言葉は、明治時代に「警戒査察」を省略して使われたのが起源といわれている。


日比谷焼打事件・・・ 1905年9月5日、日露戦争の講和条約に反対する講話問題同志連合会など9団体が、日比谷公園で条約調印反対の「国民大会」を開くことを決定していた。 これに対し警視庁は大会の開催阻止を決定、日比谷公園を封鎖した。集まった3万人もの群衆は警察の不法な封鎖に反発し、柵を破壊して公園内に殺到した。大会終了後、群衆は二重橋前で警官隊と衝突。演説会が予定されていた新富座でも、群衆が警察の解散命令に反発して乱闘となった。さらに群衆は、国民新聞社・ 内務大臣官邸なども襲撃したが、この時、巡査が抜刀して斬りつけ、群衆の怒りはさらに高まった。群衆はさらに、警察署2カ所を襲撃し、東京市内の8割にの ぼる258カ所の交番所・派出所を破壊した。6日には戒厳令が施行され、軍隊が出動した。この日比谷焼打事件で、死者は17人、検束者は2000人にも上った。事件直後、各新聞は一斉に警察の弾圧政策を批判し、警視庁廃止論もわき起こった。

この事件の背景には、講和条約への人々の憤激以外に、庶民生活の隅々まで強権的介入をするようになってきた警察制度に対する強い不満と恐れもあったと言われる。日比谷焼打事件に強い衝撃を受けた政府や警察官僚は、事件を徹底的に検証し、新たな大衆運動に対して警戒を厳しくすると共に、「警察思想」の民衆への普及、公安に害がない場合の不干渉主義、 私服巡査の活用による密偵活動などの措置を考案した。


米騒動・・・ 1918年、シベリア出兵などの影響で米価の高騰に苦しんでいた民衆が、全国各地で米屋、資産家の住宅、警察などを襲撃した。この米騒動は警察力だけでは鎮圧できず、全国120カ所で軍隊も出動することになった。しかし、騒動の中で、日比谷焼打事件の教訓が活かされた事例が多数報告されている。制服警官が民衆に暴力を振るうよりも言葉による説得を重視する一方、私服警官は騒動の中に入り込み首謀者を特定して群衆に隠れた場所で逮捕した。さらに、各地の青年団・在郷軍人会・消防組などを中心とする「自衛団」を警察協力組織として活用し、騒動の広まりを防止した。


「民衆の警察化、警察の民衆化」・・・ 1921年、警察官僚の松井茂が雑誌『太陽』に発表した論文のタイトル。松井は、民衆にとって警察が怖れの対象であることに危機感を抱き、警官が民衆に対して「親切丁寧」であるとともに、民衆にも「我々国民の警察である」という意識を芽生えさせて民衆の中に警察への「同情者」を増やしていく必要性を唱え た。大正デモクラシーの機運の高まりと共に警察のあり方も揺れており、民衆との距離を埋めていく必要があった。この後警察は、全国で交通安全キャンペーンの展開、小学校の児童を招いての警察署見学、社会奉仕日を設定して各地で奉仕活動、警察展覧会の実施、人事相談所の開設、民間の有志による警察協力団体の 組織化などを行った。これにより警察が民衆にとって身近な存在であることを印象づけ、民衆を積極的に秩序維持に協力させていくことに成功した。


関東大震災・・・ 1923年9月1日、関東地方でマグニチュード7.9の大地震が発生した。この地震によって関東各地の警察機構も一時マヒ状態になった。政府は戒厳令を施行し、被災者の救援と治安維持のために軍隊を出動させた。その一方、民衆の側にも「自警団」と呼ばれる団体が自発的に組織された。自警団は関東各地で3689もの数が組織されたといわれる。自警団に参加した人々は、被災者への救援活動を行う一方、日本刀・棍棒・竹槍・ノコギリ・銃などの武器を所持し、 町村の要所に非常線を張って不審者へ検問した。震災の被害による恐怖と混乱の中で、「朝鮮人が爆弾を投げている」とか「朝鮮人が井戸に毒物を混入した」などのデマが広まり、自警団は朝鮮人を発見すると虐殺を行った。自警団によって殺害された朝鮮人の総数は、6000人にものぼると言われる。

警察は、デマの拡大を阻止する一方、自警団への統制を行って治安維持のために積極的に活用した。自警団の方も警察へ各種の協力を行い、朝鮮人を虐殺した人々の多くが震災後に不起訴となった。また、自警団のような地域の警察協力組織はかたちを変えて震災後も残され、その後の警察行政が広く民衆にまで貫徹する基礎となった。「民衆の警察化、警察の民衆化」を唱えていた松井は、この自警団を高く評価し、「国民皆兵」であると共に「国民皆警察」である必要があると説いた。

議論の種類

written by 齊藤 貴義 on

今まで、議論とは何か、議論がどういう構造になっているかを見てきました。このページではさらに、議論をいくつかのタイプに分類し、それぞれの基本構造、使用上の留意点、実例などを紹介していこうと思います。

1.「一般化」(Generalization)による議論

▼基本構造

一般化による議論においては、データは通常、多くのサンプルによって構成されます。そして、そのデータDから、許容しうる一般化ができることを、理由づけWは示さなければなりません。

▼使用上の留意点

(1)個々のサンプルについての情報が正確であり、聞き手の承認を得ていること。
(2)個々のサンプルについての情報が議論の目的にとって適切なものであること。たとえば最新の問題について議論する際に、百年前の情報をもってきても(内容にもよるが)不適切な場合が多い。
(3)充分な数のサンプルが考慮されていること。
(4)サンプルの選択が恣意的、一面的ではないこと。
(5)否定的サンプルが、その質と量において、主張Cの一般的信憑性を無効にするほど優勢ではないこと。

▼実例

(D)西欧諸国では国民所得の向上に伴って家庭での牛肉の消費量が増大した。アメリカでも国民所得の向上に伴い、牛肉の消費量が増大した。日本も高度経済成長以降、牛肉の消費量が飛躍的に増大した。中国も現在、急速な経済発展の途上にあるが、牛肉の消費量は年々増大している。
↓−−(W)なぜなら、経済発展を遂げた国々がほとんどそうであるならば、このことは世界中どの国においても、一般にそうであろうから。
(Q)おそらく
(C)経済発展を遂げた国においては牛肉の消費量が増大する−−(R)牛肉を食べることについてタブーとする倫理観のある国でないかぎり

2.「類似」(Literal Analogy, or Resemblance)による議論

▼基本構造

類似による議論では、あるデータから、それと同一のカテゴリに属する他のケースに関する主張が導き出される。データDから主張Cへの推論上の飛躍は、データにおけるケースと、主張におけるケースとが、本質的諸点において類似していることによって正当化される。

▼使用上の留意点

(1)データにおけるケースと、主張におけるケースとが、同一のカテゴリに属すること。二つのケースが異なるカテゴリに属するものは、「比喩」による議論となってしまう。
(2)データの内容が正確であり、聞き手の承認を得ていること。
(3)データにおけるケースと、主張におけるケースとが、重要な諸点について類似していること。
(4)二つのケースの間の差異が、主張の正当性を無効にするほど決定的でないこと。

3.「比較」(Comparison)による議論

▼基本構造

比較による議論は、何かが起きる可能性が低いところで起きたならば、高いところではなおさら起きるといったような比較によって、推論上の飛躍が正当化される議論である。

▼使用上の留意点

(1)比較される二つのケースが同一のカテゴリに属する事柄であること。
(2)データの内容が正確であり、聞き手の承認を得ていること。
(3)程度の比較が正当であり、聞き手の承認を得ていること。

4.「分類」(Classification)による議論

▼基本構造

分類による議論は、あるカテゴリについて一般に認められた事柄や、先立つ議論によってその正当性が立証された事柄から、そのカテゴリに属する個別的ケースの主張を導き出そうとする議論である。

▼使用上の留意点

(1)データの信憑性が、聞き手を含めて一般に承認されていること。
(2)主張におけるケースが、データで一般的情報が述べられているカテゴリに属するものであること。
(3)主張におけるケースが、そのケースに属するカテゴリの中で例外的ケースではないこと。

5.「徴候」ないし「シルシ」(Sign)からの議論

▼基本構造

複数の事実から、それらの事柄が何かの徴候になっていることを主張する議論です。データが主張で述べられていることのシルシになっていることを証明することによって、この議論は成立します。

▼使用上の留意点

(1)データを構成する個々の事柄が事実であり、聞き手の承認を得ている。
(2)データを構成する個々の事柄が当面の目的にとって適切であること。より具体的には、それぞれの事柄が徴候であることを示していること。
(3)できるだけ多くの徴候が考慮されていること。
(4)否定的徴候が、その質と量において、主張の一般的効力を無効にするほど優勢ではないこと。

6.「因果関係」の議論(Causal Argument)

▼基本構造

「このようなデータが存在する以上、その当然の結果としてこの事柄が発生する」という構造によって、主張の確かさが立証される議論。データと主張との推論上の飛躍は、両者が原因−結果の因果関係にあるということによって正当化される。

▼使用上の留意点

(1)データの内容が事実であり、聞き手の承認を得ていること。
(2)データの内容が当面の目的にとって適切であること。具体的には、データが主張で述べられていることの「原因」であること。
(3)原因−結果の関係を断ち切るようなファクターの存在が予想されるときには、それらが充分考慮されていること。

7.「ルール」(Rule)に基づく議論

▼基本構造

データから主張への推論上の飛躍が、法、規則、慣習などといった、社会制度の中で制度化されたルールによって正当化される議論。

▼使用上の留意点

(1)データの内容が正当であり、聞き手の承認を得ていること。
(2)問題のルールの実在および内容が、聞き手にとって充分理解されていること。

8.「理念」(Idea)ないし「信念」(Belief)に基づく議論

▼基本構造

理念や信念によってデータから主張への推論上の飛躍が正当化される議論。法として社会システムの中で制度化されている理念もあれば、法制度はないが広く一般に承認されている通説、少数者によってのみ支持されている理念などもあり、多義的である。

▼使用上の留意点

(1)データの内容が適切であり、聞き手の承認を得ている。
(2)理由づけを構成する理念や信念の正当性が一般に広く承認されているか、もしくは、それに先立つ議論によってその正当性が充分に立証され、聞き手によって正当であると承認されていること。

9.「定義」(Definition)による議論

▼基本構造

言語によるコミュニケーションが成立し、それが一定の成果をあげるためには、そこで用いられる用語についての共通の了解が不可欠となる。その了解を定式化したものが定義であり、定義を理由にして主張の正当性を立証しようとしたものが、定義による議論である。ただし、この定義による議論は、特に社会生活などに関わる用語において、理念やルールによる議論とオーバーラップすることも多い。

▼使用上の留意点

(1)データの内容が適切であり、聞き手の承認を得ている。
(2)理由づけを構成する定義の正当性が一般に広く認知されているか、もしくは、それに先立つ議論によって充分立証され、聞き手の承認を得ていること。

10.「証言」(Testimony)に基づく議論

▼基本構造

様々な種類、様々な内容の証言をデータとし、それによって主張を正当化しようとする議論が、証言に基づく議論である。この議論では、データから主張への推論上の飛躍が、当の証言がその議論の文脈においてもつ信憑性によって正当化される。

▼使用上の留意点

証言に基づく議論が説得力をもつための条件は、その証言がいかなる種類に属するものかによって異なる。ここでは、個別の種類ごとに留意点を整理しておこう。

専門家の意見や判断がデータとして用いられる場合
(1)その人物や機関がその問題についての権威であること。
(2)その人物や機関がバイアスからできるかぎり解放されていること。その問題について直接的な利害関係や情緒的なコミットメントをもつ人物や機関の証言は、割り引いて考える必要がある。
(3)その人物や機関が、その問題に関する第一次資料を充分検討したうえで結論を出していること。
(4)その意見や判断に内的不整合が見られないこと。
(5)その人物や機関が、その証言と両立しえないような証言を他の機会で述べていないこと。
(6)その証言と両立しえない証言が他の専門家によってなされている時には、その証言よりも信用のおけるものであること。
(7)その証言が多くの他の専門家によって支持を受けていること。ただし、これは絶対条件ではない。
(8)その人物や機関の証言が適切に引用されていること。

統計資料がデータとして用いられる場合
(1)専門的調査機関によって作成された統計資料であること
(2)統計学上のルールや手続きを満たした統計資料であること。
(3)正確に引用されていること。

目撃者(体験者)による証言がデータとして用いられる場合
(1)事件当時、目撃者が、正確で客観的な観察の妨げとなりうるような肉体的、精神的欠陥をもっていなかったこと。欠陥があった場合には、その欠陥にも関わらず目撃者の証言が信用に値することが立証されていること。
(2)観察が不都合な条件下でなされていないこと(観察距離や明るさなど)
(3)証言者が、バイアスによって歪められない客観的な観察をなしうる立場の人間であること。
(4)証言内容に内的不整合がないこと。
(5)他に異なった、両立しえない証言があるときは、それより信用のおけるものであることが立証されていること。
(6)故意に誇張された証言や、虚偽の証言ではないこと。
(7)証言が正確かつ適切に引用されていること。

11.「比喩」(Figurative Analogy)による議論

▼基本構造

比喩による議論は、それ自体としては主張の確かさを立証することができないが、主張の確かさ、もっともらしさを印象づけるうえで大きな効果を発揮する。この議論は、一般に広く知られている事柄から、それとは別なカテゴリに属することについての主張を導き出そうとする。データには、たとえ話、伝説、伝承、歴史的エピソード、ことわざ、古典(聖書や文学作品など)の一節など、様々なものが用いられる。この種の議論では、データと主張のケースが、ある種の共通点(比喩的類似)が存在することによって正当化されるが、推論上の飛躍は、今まで見てきた議論ほどは正当化されない。

▼使用上の留意点

(1)データを構成する事柄が、一般に広く知られたものであるか、聞き手が即座に理解し受け入れることのできるものであること。
(2)データにおけるケースと主張におけるケースとの間の共通点が、聞き手によって容易に理解されうるような明快なものであること。

ハイパーご冥福タイム

written by 齊藤 貴義 on

最低限これだけ押さえておけばヘッドラインもスラスラ読める、日本の頻出現代ネット用語20選+α

ほとんど聞いたことがある言葉だったが、「ハイパーご冥福タイム」だけ馴染みがなかった。Googleで検索してみると

“ハイパーご冥福タイム”で12件」「”ハイパーご冥福ターイム”で38件」。

Googleのフレーズ検索でほとんどヒットしないと言うことは、頻出ではなさそうだ。

議論の構造

written by 齊藤 貴義 on

Difficult meeting議論の構造を分析しよう

相手の理性に訴えかけて自己の主張を述べようとするとき、私達は自分の主張を裏付ける理論や事実を示さなければなりません。根拠がなければ、議論はただの言い争いになり、説得力を失ってしまうためです。これは何も難しいことではなくて、たとえば幼児でも、「この前、日曜日につれていくって約束していたから」、「遊園地に行こうよ」、という具合に、もっともらしい理由をあげることを体験を通じて学んでい ます。このように、議論は、一般に主張(結論)と、それを正当化するための根拠(前提)によって構成されています。この根拠は、一つ、または一組の証拠となるべき事柄によって構成されています(右画像Creative Commons License photo credit: Simon Blackley)。

具体例

「近年の韓国は日本の文化を積極的に開放している」から、「今後、韓国では日本文化に対する理解と交流が深まっていくだろう」と結論する。

「インドネシア、チェチェン、コソボなど、冷戦時代には想定していなかった地域紛争が世界中で発生している。さらに、これらの問題を包括的に対処しうる国際秩序が形成されていない」から、「冷戦後の世界にとって、この地域紛争の解決が重要な問題となる」と結論する。

議論道場では、結論を導き出すための直接の証拠をデータ(Data 以下Dと表記する)、データから導き出された結論を主張(Claim  以下Cと表記する)と命名します。データは、議論をする相手にとって納得しうる内容のものでなければなりません。自分にしか納得できないデータをいくら並べたところで、相手の理性に訴えかけることは不可能であるためです。「我が党の機関誌には、こう書いてあるんだ」と述べても、「私の信じる宗教では、こ の認識に立っている」と述べても、そこから示されているデータに普遍性が存在しなければ、同じ党員や同じ宗教の人しか説得できなくなります。

また、厳密に考えた場合、主張はデータと同義語またはそれに等しいものでないかぎり、推論上の飛躍(inferential leap)が存在します。そこを突いて、「韓国が日本の文化を開放しているからといって、日本文化への理解や交流が深まるとは言えないのではないか」という有効な反論を提示することも可能です。このような反論に答えるためには、主張者は、データからその主張がなぜ導き出せることの合理性を立証しなければなりません。先の例について言うならば、「なぜなら、文化の輸入がその国への理解や交流の原動力になるから」ということを論証しないかぎり、主張は正当性を欠いたものになります。

このように、「データからなぜその主張に達することができるのかを立証したもの」を、ここでは理由づけ(Warrant 以下Wと表記する)と呼ぶことにします。理由づけは、明言されない場合があります。しかし、この理由づけがいかなる構造になっているかは、意見を分析して有意義な議論を展開する際の大きなカギとなります。

さて、今まで見てきたなかで、議論が大きく三つの部分によって構成されていることが明らかになったと思います。すなわち、「データ」「理由づけ」「主張」です。D→Cへと続く過程に、Wが入ることによって、議論はより論理的になります。


次に、この三要素を基礎としながら、もう少し議論の構造を詳しく見ていきましょう。議論はD→W→Cへと至るプロセスによって構成されますが、このうち、理由づけWが、データDから主張Cへの移行を百パーセント保証するものを、必然的議論(necessary argument)と呼ぶことにします。それに対して、理由づけWが、データDから主張Cへの推論上の飛躍をかなりの程度に保証することはできても、百パーセント保証することはできない議論を、蓋然的議論(probable argument)と呼ぶことにします。社会問題のような複雑な問題を対象として行われる議論は、どうしても蓋然的議論が多くなります。

蓋然的議論においては、百パーセント真実ではなくても、蓋然的なものもデータとして使うことができます。つまり、蓋然的議論は、真実もしくは蓋然的なデータに基づき、完全とは言えない理由づけによって、主張の蓋然性(もっともらしさ)を正当化しようとする議論であると言えます。

蓋然的議論を展開するためには、D→W→Cのプロセスがどの程度確実か、明示される必要があります。その明示の程度を示す要素を、ここでは限定語(Qualifiew  以下Qと表記する)と呼ぶことにします。このQの程度が、「・・・になる可能性もないとはいえない」くらいであれば、議論の分野や目的にもよりますが、 説得力のある議論を展開することはできません。「・・・になる可能性が非常に高い」ということを立証していくことが、議論を展開していく際に不可欠であります。

さらに、蓋然的議論において、理由づけWは、いかなる状況においても当てはまるとは限りません。理由づけWは、あくまでも一般的正当性しか有さず、例外が存在する場合があるためです。このような場合、誤解や議論が本旨から外れることを防ぐために、例外的なケースをあらかじめ想定し、議論の留保条件として明示しておくことが望ましいと言えます。このような留保条件を、ここでは反証もしくは留保(Rebuttal or Reservation 以下Rと表記する)と呼ぶことにします。

また、理由づけWは、真実である場合もあれば、蓋然的である場合もあります。時には、理由づけWの信憑性を裏付けるために、さらに資料が必要になる場合があります。このような場合、理由づけの裏付け(Backing for Warrant 以下Bと表記する)が必要となってきます。

最後に、議論をこのような構成要素に分類したトゥールミンという人が、例としてあげている議論の一つを紹介します。

(D)ハリーはバミューダーで生まれた
↓−−(W)なぜなら、バミューダーで生まれた者は英国人になるから−−(B)「英国領で生まれた者の国籍に関する法律」によって、そのように定められているから
(Q)たぶん
(C)彼は英国人であろう−(R)彼の両親が共に外国人であったり、彼自身がアメリカに帰化したのでないかぎり

以下は、この形式を使った一例です

(D)中国経済は急速に発展している
↓−−(W)なぜなら、国際社会において経済力のある国は発言力を強めているから−−(B)アメリカや日本、EUなどのように、経済発展を遂げた国は、他の発展途上国と比較して、国際社会で大きな発言力を有しているから
(Q)かなりの確率で
(C)国際社会での中国の発言力は強まるだろう−(R)中国の経済が早期に低迷したり、政治の混乱が拡大しないかぎり

議論とは何か

written by 齊藤 貴義 on

議論とは何か

Saviour

私たち人間は、一人で生きていくことはできません。そのため、家族、学校、企業、地域、国家などの様々な集団に所属し、その中で「他の誰か」と共に社会生活を送っています。この世界に一人として同じ人間がいない以上、そのような状況の中では、様々な問題群を巡って、認識や考えの違いが表面化してくることがあります(右写真Creative Commons License photo credit: hapal>)。

この場合に取りうる選択肢として、まず次の二つがあると思われます。1.自分の意見を表に出さずに当面の対立を回避する、2.自分の意見を主張して相手に同意を求める(より良い意見を探す)。この1と2の選択のうち、どちらが望ましいかは、状況や個人の信条などに大きく左右されるため、一言で決めることはできません。

しかし、争点となっている事柄が自分にとって重要な問題である場合、または、その問題に関して自身の見解を他者から要求されている場合などには、自己の主張を展開し、相手を説得する必要性が生じてきます。それでは、相手に自分の主張を承認させようとする場合、いかなる手段が考えられるでしょうか。厳密に言うと、相手を説得するという行為は、様々な要素が絡んできて、明確な区別をしにくい面がありますが、ここでは便宜的に四つに分類してみようと思います。

.実力(権力・暴力など)を行使して相手の意見を直接沈黙させる。
.見返りとなる利益(金銭、社会的地位など)を与えて相手の意見を間接的に沈黙させる。
.様々なシンボル(音楽、映像、アジテーション、シュプレヒコール)を使ったり過激な言葉や強い口調を多用したりして人々の感情に訴える。
.なぜ自説が正しいのかを論理立てて証明して人々の理性に訴えて人々の合理的かつ自発的同意を得る。

よくよく考えていくと、これら四つの手段のうち、1から3までの手段は、それほど大きな差がないことがわかります。1から3の手段にとって、他者の意見は、操作の対象でしかありません。自分の意見の正当性よりも、その操作がうまくいったかいかないかが重要となってくるわけです。しかし、4の手段は、このような操作による主張の展開とは質的に異なってきます。4の手段においては、主張の整合性や妥当性が最重視され、それらが確保できなかった場合には自説を潔く引き込める余地も残されています。また、4は、他者を人として尊重し、自分の意見をより高い段階へと発展させていける可能性も有しています。

大きな声をあげて相手を牽制したり、力を背景に言うことをきかせるという手段は、人間以外の動物なども使える手段です。しかし、理性に訴えかけて相手の同意を求める手段は、人間のみが使っています。ゆえに、4の手段は、最も発展的であり最も人間的な主張の展開手段であると言えます(ただし、出発点を「人としての心」に置かずに理性のみに訴える議論は別。これについては後述します)。

議論道場では、4の手段のように、理性に訴えるという方法を用いて相互に意見を述べあう行為を議論と定義したいと思います。もちろん、たとえば3のような手段を「議論」と呼ぶときもありますし、問題を解決する手段として4がいかなる場合も優れているということを主張するつもりはありません。しかし、理性に訴えかける議論は、建設的なコミュニケーション手段の一つであり、次の世代への情報の継承を掲げる”みらい”の理念とも合致すると考えます。