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齊藤貴義

written by 齊藤 貴義 on

あまりきちんと自己紹介していなかったですね。
皆さん、あらためてはじめまして。みらい管理人こと齊藤貴義です。

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↑バーテンダーを目指していた頃の写真です。ずいぶん昔。
以下に簡単に自己紹介させて頂きますね。


名前・生物的特徴編

3c14cc93-s名前

名前は齊藤 貴義(さいとう たかよし)。HNは、みらい管理人またはmiraihack。

生年月日

生年月日は1979年9月11日。29歳。2001年の22歳の誕生日にアメリカ同時テロが発生しました。2005年の26歳の誕生日に第44回衆議院議員総選挙で郵政民営化を訴えた自由民主党が圧勝しました。元々は日本で初めて公衆電話が開通した日。

ジェンダー

ジェンダーは男性。セクシャル・マイノリティにも理解がありますが、生物的にも社会的にも自己自認も男性です。自分も含め、社会はジェンダーを巡る文化や秩序の中に組み込まれているんだなと思うことがよくあります。「男性は男性らしく」「女性は女性らしく」という意識は、社会の見えにくいところで現在もなお根深く存在しています。社会的性差の構築過程を、社会的言説や統計調査などで明らかにしていく現代のジェンダー研究に強い関心があります。

何でもかんでも男性も女性も同じ文化にしていくラディカル・フェミニズムの一部の主張には疑問を感じますが、生まれてきた性別で言われなき不利益を与える社会とならないよう、バランスのとれた社会にしていく必要性を感じています。そのためにも、近年の数量研究や言説研究をもとにしたジェンダー研究の成果が広く人々に知識として共有されるよう願っています。

c7d2ba5c-s身長・体重・血液型

身長は171cm、体重は67kg、血液型はO型。この前、健康診断を受けたのですが、総合判定がGでした。

総合判定:G
血液検査にて、中性脂肪と空腹時血糖の高値を認めます。また、血圧が
正常上限で、胸部レントゲン検査にて心拡大を認めます。腹囲が基準値を
やや上回っていますので、内臓脂肪による影響が考えられます。食事に
注意をし、適度な運動を心がけ、無理のない減量をおすすめします。
6ヶ月後を目安に再検査をお受けください。

臓器

たぶんアルコールで臓器はボロボロになっていると思いますが、いちおうドナーカード(臓器提供意思表示カード)を持ち歩いています。僕は脳死後、心臓・肺・肝臓・腎臓・小腸・眼球を提供する意思があります。


社会的属性編

現住所
現住所は東京都千代田区。皇居のある区です。千代田区の面積の約15%は皇居です。国会議事堂・最高裁判所・首相官邸もあります。僕のマンションは秋葉原駅近くにあります。僕のマンションが建っている場所は江戸時代には大名屋敷があったそうです。

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株式会社ライブドアでWEBディレクターとして働いています。担当コンテンツはlivedoor Readerlivedoor クリップです。所属はメディア事業部ブログビジネスユニット企画グループです。

前職では東京のIT企業でシステムエンジニアの仕事をしていました。主にネットワークインフラの設計・構築です。他にもCTI(Computer Telephony Integration)やGIS(Geographic Information System)、SNS(Social Networking Site)、CMS(Contents Management System)、医療機関検索システムなどの技術開発に従事していました。

子供の頃になりたかった職業

幼稚園の頃は「電車の運転手」。みんなを乗せてどこまでも、どこまでも走っていく電車を自分で運転してみたいと思っていました。小学生の頃は「漫画家」。とにかく絵を描くのが好きで、しょっちゅう暇を見つけては絵を描いていました。中学生の頃は「軍事評論家」。湾岸戦争の影響かもしれない…。高校生の頃は「研究者」か「政治家」。

68189261最終学歴

大東文化大学国際関係学部国際関係学科中退。高校3年生の時、遠距離恋愛していた恋人の隣町の大学だったので入学しました。その後、恋人と別れてから、今の大学、そして自分自身や周囲に疑問を感じ、退学を決意。社会での風当たりは強いですが、後悔はしていません。退学したことも、2年間の大学生活を送ったことも。

大学での専攻

南アジア(特にインドの政治経済)。様々な人種、民族、宗教、価値観が混在するインド。そのインドが歴史的に形成してきた国際システムを研究していくことによって、国際社会における民族紛争などの様々な対立を是正していく糸口はないかということを考えていました。1998年でその考えを持ったのは早すぎた。

7aa83302出身都市

福島県相馬市(人口4万)。福島県の北端近くにあります。仙台にも近い。日本史に詳しい方ならば、戦国大名「相馬氏」でピンとくるかも。伊達政宗と激戦を繰り広げて最後まで負けなかった大名家です。鎌倉から幕末まで700年間、1度も領地がえのなかった家柄としても有名(全国的に見て、他には島津家や相良家しかないそうです)。関ヶ原の合戦で中立の立場をとったため、江戸幕府は相馬家を取り潰そうとしますが、辛くもこの危機を脱します。

江戸時代には二宮尊徳の二宮仕法を取り入れて藩政の改革に乗り出します。幕末には奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と交戦しています。市内あちこちに遺跡や歴史的建造物があります。伝統行事「相馬野馬追い」でも有名。ホッキ貝を中心に海産物も豊富にとれます。最近は火力発電所が建設されたり工業コンビナートが整備されるなど、太平洋に面した地形を活かした電力工業地帯としての発展に賭けているようです。古くからある商店街として田町商店街がありますが、最近はイオングループ系のジャスコに押されています。

出身高校

福島県立相馬高等学校理数科。県内で4番目くらいに古い高校(旧制中学)です。太平洋戦争中、旧制相馬中学の卒業生が、1944年のレイテ海戦で歴史上初めて編成された神風特攻隊に参加しました。僕が入学した頃は普通科は男子のみで、理数科は男女共学でした。最近は全面的な共学化に向けての準備が行われているようです。理数科とは名ばかりの文系コースも存在する進学クラスで、授業内容も受験対策に特化していて退屈で、高校時代はよく学校をよくさぼっていました。僕が卒業した後、普通科も含めて全面共学となり新校舎が建てられたようです。


趣味・発想編

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パソコンは1993年頃からやっていました。1996年にパソコン通信の草の根BBSに参加。1997年にインターネットを始めました。当時はまだパソコン通信の方が濃くて面白かったです。1998年に自分のWEBサイトを作り始めました。2001年にデザインはフルCSS化(当時はブラウザの互換性に泣かされた)。2002年にCGIをいじり始め、2003年にMovable Typeでブログを始めました。同年に自宅のマシンをLinuxに変更しました。自作PCも複数台つくりました。

よく読むマンガ

闇金ウシジマ君

好きなタレント

飯島直子

尊敬する歴史上の人物

支倉常長(戦国時代末期、伊達政宗の命でスペイン・ローマへ派遣された人。)、大黒屋光太夫(江戸時代に遭難してアリューシャン列島に漂着。ロシアの首都ペテルブルグで女帝エカテリーナ2世に謁見。その意思と行動力には脱帽)

将来行ってみたい場所

宇宙。子供の頃から夜空を見るのが好きで、「いつか普通の人も星に行ける時代が来るのかな」と色々な空想を広げていました。地球もまだ美しい星だけれど、一生地球だけを這い回って生きるだけなのはちょっと退屈だなと思っています。最後は地球に帰ってくるにしても、資源が豊富な星、人間が住める星、さらには宇宙の果てを見つける旅に出てみたい。現実的には、仮に実現できたとしても月面旅行や火星旅行になりそうですが…。

希望する自分の埋葬方法

自分が死んだら、腐敗が進む前に死体を山に捨ててほしいと思っています。自然の動物達や虫達に自分の体を食べられたい。そうすれば、かつて僕だった有機物の一部は鳥になって空を舞うし、また別な一部は分解されて豊かな大地の礎となります。火葬骨になって孤独に埋葬され続けるよりも、生態系の食物連鎖に貢献したいと思っています。こういう部分は自然主義者です。現在の法律では死体遺棄が禁止されているので実現はちょっと困難ですが…。


その他

高校生の時、高校生クイズ選手権で全国大会に

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日本テレビ主催 第16回全国高等学校クイズ選手権の東北予選で優勝 全国大会出場(書籍より。一番右が僕です)

高校生の時、TBS筑紫哲也のニュース23に出演

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高校生の時、筑紫哲也のニュース23に出演しました

大学時代は雄弁会に所属
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・全関東学生雄弁連盟新人弁論大会 質問賞
・東京大学催新人ディベート大会 優秀賞
・法政大学春秋杯弁論大会 優勝
・中央大学花井記念ディベート大会 優勝
・東京大学総長杯新人弁論大会 第2の部突破
・全関東学生雄弁連盟ディベートリーグ 立教大学に勝利 日本大学に勝利 中央大学に勝利 防衛大学校に勝利 駿河台大学に勝利 東京大学に勝利)
・全関東学生雄弁連盟King of Debate 準優勝 観客特別賞
・雄弁会 幹事長就任
・全関東学生雄弁連盟ディベート委員会判例集を担当


そんな感じでマニアックなヤツですが、どうかよろしくお願いします〜!

恋愛結婚の社会史

written by 齊藤 貴義 on

最近、恋愛と結婚について考えることが多い。
以下はだいぶ前に私が恋愛について書いたエッセーです。

恋愛結婚の社会史

b603838c-s現在の私達にとって、恋愛結婚はごく一般的な結婚形態として広く普及しています。しかし、近年の社会学やジェンダー研究の発展によって、人々が恋愛と結婚を強く結びつけて考えるようになったのがごく最近になってから、より明確に言うならば「近代」になってからであることが明らかとなってきました。恋愛結婚はどのような歴史的経緯を経て普及してきたのでしょうか。
恋愛結婚は近代から

現在、日本人の結婚の約87%が恋愛結婚となっており、恋愛による結婚こそ男女の結合の自然な形態であるという考えが広く普及しています。しかし、歴史研究の進歩によって、恋愛と結婚が強く結びつけて考えられるようになったのは、ごく最近、厳密には近代に入ってからであることが明らかになってきました。そもそも日本で「恋愛」という言葉が使われるようになったのは、実は明治時代になってからのことです。当時、『女性雑誌』という雑誌の主宰者をしていた巌本善治が、英語の「love」に「恋愛」という言葉を当てはめた最初の人物であると言われています。彼は、「恋愛」とは「清く正しく」「深く魂(ソウル)より愛する」ことであり、「恋」のような「不潔の連感に富める日本通俗の文字」とは異なって、非常に崇高で価値あるものであると説きました。彼の恋愛論をきっかけとして、「恋愛」という言葉や感情・行為が広く社会に浸透していくことになります。

前近代社会では、恋愛が結婚にとって重要な要素となるとはあまり考えられていなかったようです。では、前近代社会では結婚や恋愛はいかなる形で営まれたのでしょうか。また、恋愛結婚はなぜ近代になってから普及したのでしょうか。この問題を考えるには、恋愛と結婚の相互関係を押さえておく必要があります。私達の恋愛感情は、ある時、突然わき起こることがあります。あるいは、ある時、突然消えることがあります。そしてその感情は、自分でどんなに否定しても否定しきれるものではありません。一方、結婚は共同生活も含めた持続的な関係であることが要求されます。つまり、恋愛感情は流動的なものであるのに対し、結婚制度は固定的なものであるわけです。結婚したからといって、配偶者に恋愛感情を抱き続けられるとは限りませんし、配偶者ではない別な人に恋愛感情を抱く場合もあります。このような恋愛と結婚の緊張関係を解消していくことが、それぞれの社会の一つの課題でもあるわけです。この緊張関係を解消するために、前近代社会では様々な方策が採られてきました。

前近代社会における恋愛と結婚の分離

その方策の一つに恋愛と結婚を分離させるというものがありました。民俗学や農村社会学の研究成果によって、夜這い(気に入った女性のいる家を夜に訪ねて性的行為に及ぶ)の慣行が日本各地の農村に戦前まで幅広く存在したことが明らかになっています。前近代社会の日本の農村には、「ネヤド」「ニセヤド」「ネンヤ」など同世代の若者が寝食を共にした家があり、その家を単位として交際や夜這いなどが行われていたようです。このような男女交際は「ホーバイ」「若者衆」などの集団によって管理されてきました。夜這いの相手は誰か1人とは限りません。貞操観念も今ほど強固なものではなく、比較的自由な恋愛関係や性的関係が存在したと考えられます

人類学では、この夜這いのような制度を制度化された婚前自由交渉と呼びます。日本の農村社会と同様の制度はポリネシアなどでも確認されています。なお、恋愛結婚に対してよく引き合いに出される「見合い結婚」は、前近代社会(特に西日本)では必ずしも主流ではありません。見合い結婚が全国的に広がってくるのは、人々の地域移動の活発化、貨幣経済の浸透による農村内の階層分化などによって、農村の若者衆や娘衆などが解体していった幕末になってからです。

そのような営みの中から気のあった相手と結婚したわけですが、結婚生活も農作業を含めた生活共同体という意識が強く、「1人の大切な人と精神的にも強く結ばれて結婚したい」「結婚後も愛情ある家庭を築いていきたい」という恋愛と結婚を結びつけた意識は現代より希薄であったと考えられます。実際、離婚率や再婚率もかなり高い水準にありました。明治時代から離婚の全国的な統計調査が開始されましたが、現代よりも明治時代初期の方が離婚率が高かったというデータが得られています。

明治15年から明治30年までの離婚率(対1,000人)は、最高3.39、最低2.26、平均2.82。1998年の離婚率は1.94。

江戸時代には離婚に関する全国的な統計はありませんが、文献史料などを検討するとかなりの割合で離婚が発生していたと推測されるようです。庶民だけではなく、平安朝貴族や富裕商人などでも、比較的結婚と無関係な異性関係が存在しました。「源氏物語」に象徴されるように、あらかじめ家柄や政略などで決定された婚姻関係とは別のところで、貴族達は異性関係を楽しんでいました。当時の和歌にも結婚とは別のところで異性に慕情を抱いているものが数多く残されていますし、貴族の女性が義父(夫の父)と関係を持ってその子供を妊娠したというケースもけっこうあります。富裕商人などの間でも、「妾」を設けたり「おいらん遊び」をしたりなど、結婚とは別の場所で恋を楽しんでいたことをうかがい知ることができます。

恋愛と結婚を分離させて考えるという発想は、夜這いのような形は取っていませんが、西洋の前近代社会でも確認されています。歴史家ドニ・ド・ルージュモンの『西洋の愛の歴史』によれば、西洋中世、少なくとも近世までは恋愛と結婚は相互に矛盾するものであったとされています。結婚の中に恋愛はなく、恋愛の中に結婚はないというわけです。庶民の間では結婚に至らない男女交際が活発に行われ、中世の騎士階級では貴族の既婚女性の寵愛を得たいという行動欲求が社会的に価値づけられていきました。当時の文学作品を調査したデュビーという人物は、「この愛は社会秩序や道徳的秩序を乱すどころか、むしろ結婚から離れたところに位置するという点において、秩序の堅持に寄与するのである」と結論づけています。

ロマンチックラブの隆盛

90343e4d-sこのような状況が一変して、恋愛と結婚を結びつけた「恋愛結婚」の発想が広く普及していくのは、17世紀から18世紀にかけて西洋でロマンチックラブの隆盛が起きてからでした。産業革命で飛躍的に発展しつつあった西洋では、社会構造が急激に変化し、一部の商工業者が富裕市民(ブルジョワジー)として台頭します。富裕市民の出自は必ずしも高い身分であったわけではありませんが、やがて旧来の支配階級であった貴族をおびやかすまでになります。まず、この富裕市民の中で恋愛観に変化が生じます。

富裕市民は、貴族と同様に豊かな暮らしを送り、余暇時間も増大しましたが、貴族のように政略結婚や家の格式に拘束されることはありませんでした。豊かな暮らしと余暇時間の拡大が、女性を生産労働から切り離し、主婦の誕生をもたらしました。主婦は、庶民階級のように共同体全体で生活役割を共有するのではなく、貴族階級のように使用人なども含めて間接的に生活役割を共有するのでもなく、家事や育児などの生活役割を家庭内で一手に引き受けて、完結させる役割を負うことになりました。今日的な意味での「家族愛」や「母性愛」が唱えられるようになってきたのは、実はこの「主婦の誕生」が生じた時代と重なります。

さらに、女性が生産労働から切り離されていったことにより、家族は(今までの庶民階級のような)生産単位としての傾向は薄れ、性的結合体としての傾向を濃くしていきました。また、富裕市民は当時はまだごく少数であったため、男女交際はそのまま結婚へと結びつきやすい傾向にあったようです。これらの要因が合わさって、富裕市民の中で「恋愛による結婚こそが自然な姿だ」「庶民階級や貴族階級のような性的自由は不道徳だ」「結婚後も家族には愛情がなければならない」というロマンチックラブ・イデオロギーが勃興してきました。

このような恋愛観は、次第に庶民にも普及していくことになります。なぜ恋愛結婚のイデオロギーは富裕市民に限らず、庶民層にも急速に拡大していくことになったのでしょうか。この点については諸説ありますが、一部のフェミニストの間から、「近代産業の発展と恋愛結婚には何らかの関連性があったのではないか」という指摘が提起されています。

近代産業においては、農業労働や伝統的な職人芸は衰退し、工場労働が主流となっていきます。このため、従来の「生産単位としての家族」や「地域社会」は存立基盤を失っていきます。しかし、近代産業においては、労働者は長時間家族生活を離れて生産労働に従事しなければなりません。家族が解体してしまっては、余暇時間も家事に忙殺されて生活に支障をきたしますし、育児などが困難になるため新しい労働力を生み出すこともできません。したがって、労働力の再生産を目的として、何らかの形で家族を再統合していく必要性が生まれます。「恋愛結婚」は、「労働力の再生産を行うユニット」として家族が再編成されていく社会的適合性の中から普及していったのではないか、と考えることができます。

恋愛結婚や主婦の誕生、そして「家族愛」や「母性愛」の発想が定着したことにより、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業意識も広く共有されることになりました(性別役割分業意識が強くなったのは、庶民が男女共に農業に従事していた封建社会ではなく、実は近代社会になってからのことです)。女性は、愛情表現として自発的かつ無報酬で家事労働や育児を担当することになりました。「愛情が湧くから家族になる」という意識は、やがて「家族には愛情があってしかるべき」という意識へとつながり、前近代社会で確認されていた性的自由や高い離婚率を抑制することになりました。現実の家族生活に矛盾が存在しても、愛情を持って乗り越えていかなければならないという考え方が定着していきます。また、性的な純潔を尊ぶ貞操意識や処女概念も、この頃に明確に確立されてきたと指摘されています。このようにして、恋愛と結婚はカップリングされていったと考えられます。

日本の見合い結婚

9a15b48f一方、日本の場合はどうだったのでしょうか。日本でも性的自由はやがて失われてくるのですが、その経緯については西洋と大きく異なります。近代西洋ではロマンチックラブ・イデオロギーが勃興して恋愛結婚が活発化しましたが、日本では近代になって勃興してきたのは恋愛結婚ではなく、見合い結婚でした。日本と西洋はなぜそれぞれ別の道を歩んだのでしょうか。以下でその歴史を見ていきましょう。

江戸時代後期になると農村まで貨幣経済が浸透し、それまで売買が厳しく制限されてきた田畑を負債の担保に当てる農民が増えてきました。負債を返しきれなくなった農民はやがて田畑を手放し、他人の田畑を小作人として耕す「水呑み百姓」となります。この水呑み百姓の激増によって、今まで生活水準がほぼ同じ人々が生活していた農村社会の中に、「豊かな家」と「貧しい家」の階層分化が進むことになりました。「豊かな家」にとって、夜這いなどの性的自由で「貧しい家」の異性と結ばれてしまうことは、家の存続・発展にとって割に合わない戦略になっていきます。やがて豊かな家は、夜這いを拒むようになります。そして、多少地域が離れていても、自分達と同じ豊かな生活水準の相手を探すようになりました。そのような結婚活動のために「仲人」にあたる人が介在するようになります。このように、農村内の階層分化の進展によって、現代の見合い結婚に近い形が全国的に形成されていくことになったと考えられています。

一部の豊かな家が拒絶しだしたことにより、夜這い慣行は徐々に衰退していくのですが、それに追い打ちをかけたのが、明治政府が実行した諸改革でした。近代西洋に倣って国内を開明化する必要に迫られた明治政府は、明治31年に民法を制定します。この民法によって、今まで村落・家・個人などの取り決めに委ねられてきた結婚や離婚が、国家の法制度の中に組み込まれることになりました。例えば、今までは「三行半(みくだりはん)」と呼ばれる離縁状を夫が書けば離婚が成立することになっていたわけですが、民法の規定によって離婚届を裁判所に提出することが義務づけられ、場合によって裁判が起こることになりました。今まで恋愛と同様に流動的であった結婚制度が、国家の政策によって固定的なものへと変化したわけです。

相馬市の活性化

written by 齊藤 貴義 on

私は福島県の相馬市出身です。今日は故郷の活性化方法について自分の考えを書きます(元ネタは相馬関係のコミュニティに自分が投稿した原稿です)。

相馬に帰ると、市の中心部でもシャッターを閉めているお店が多く、全国に広がっている「シャッター商店街」の傾向が出てきているのではと心配になります。田町の街路も美しく整備されましたが、歩く人はまばら。

実際の所、相馬の産業の現状ってどうなっているのでしょうね。
相馬出身の自分としては、できれば郷土の活性化に力を尽くしたいです。


まず相馬の産業の状況ですが、市役所のサイトで統計資料が公開されていました。調査年度がバラバラで単純に比較検証するのが難しい部分もありますが、平成8年〜9年以降、かなり急激に市の産業が落ち込んでいるようですね。

例えば、工業分野の製造品出荷額で見ると、

* 平成9年 12,773,792(万円) → 平成16年 9,682,454(万円)
およそ300億円ほど製造品出荷額が落ちたことになります。
* 平成8年には2,428あった事業者が、平成13年には2,293に減少
* 平成9年に632あった小売業商店数が、平成14年には575に減少

景気動向の余波もあるのでしょうが、年間販売額は大幅に変動しているわけではないので消費の冷え込みの直撃というよりは、既存の産業の統廃合が進んだことと、東京に資本を持つ大手チェーンが多数入ってきたことによる産業構造の変化かと思います。


自分も18年間相馬にいましたが、相馬の人は中の人には気さくに話すけど、外の人が来ると人見知りをしてしまうと文化が根強くあるように思います。店員さ んが常連のお客さんと気さくに話しているけど、知らないお客さんが入ってくると無愛想になったりというパターンにもしばしば遭遇したことが。それが地域の 暖かみや団結になっている部分も大きいと思いますが、今後は全国に大して相馬の地域や文化の良さを広くアピールしていかないと、全国で色々な地域が町おこ しに力を入れている中で、勢いに呑まれてしまう懸念がありますね。

1年に1度の野馬追いだけでは市全体を活性化するには足りないし、相馬の良さって野馬追いだけではないように思います。昔からの手作りの技や多彩な人材を輩出してきた教育とか、もっと活かして地域性を出していきたいですよね。


自分はいまIT企業に勤めていますが、WEBも積極的に情報発信していくべきではないかと思います。野馬追いも静的なサイトだけではなく、クチコミ情報を 取り入れた相馬メディアを開設するとか、全国のファンの会員サイトをつくって地域情報を配信したりとか、色々な方法が考えられます。

動画の配信も技術的には用意なので、相馬放送局をつくって、相馬の地域放送を流したりとか。相馬の歴史も相馬放送の中で伝えられて、それが YouTubeなどで評判になれば、原町だけではなく相馬にも人が来てもらえるように思います。工業地や住宅地の振興でもそうですよね。


他にも色々な方法が考えられるように思っています。やはり相馬のメインコンテンツは独自の歴史かなと思います。相馬の騎馬武者は時代劇にも協力していますが、自分達の町のために「相馬家」を題材にした時代 劇を自主制作するのもどうかと思います。

全国の歴史好きのためにPRもできるし、戦国時代から幕末の奥州の歴史を伝える教材として活用できたら、全国で相馬地方に対する理解と関心が深まります。 それと、相馬の内部では地域情報を共有できるようにしていく必要があるかなと思います。南相馬市コミュでも書きましたが、地域SNSがあると便利かなと 思っています。

また、市内各地にネットへの接続が可能な端末を用意して、一気にIT化を進める手もあります(市の予算だけでは限界があるので地域の 協力が不可欠ですね)。その際は高齢者にも優しい、案内ページとタッチパネルが必要かなとか。


私個人としては相馬の地域産業の振興に関心があります。ただ、地域産業の振興のためにはシャッター商店街を是正していく必要があるし、相馬の産業が東京や 他地方の産業と渡り合っていくための競争力を確保する必要があると思っています。

しかし、相馬市の財政状況も必ずしも良好ではないので(相馬市が出している資料でも、行政改革を実施しなければ平成20年代に財政再建団体に転落する可能 性があることを指摘されていますよね)、プライマリーバランスに配慮した財政出動と、地域の創意や自助努力が必要だと考えています。

シャッター商店街の対策としては、高齢者に配慮した街づくりが効果的ですね。特に公共設備へのアクセスは重要ですよね!現状の都市配置を変更するには予算 の確保が難しいので、地域センターをもっと増やして、公共の手続きをそちらで代行できるようにした方が良いかもと思いました。

私は 今は東京の千代田区に住んでいますが、千代田区も区内に幾つかの出張所や地域センターが配置されていて、活用状況も良いです(特に高齢者の多い神田地区な ど)

大手外食チェーンや小売チェーンなどの進出には別途対策を講じる必要があるのかなと思います。吉野家やマクドナルドが進出しても1店1店の影響は大きくないでしょうが、今や相馬にはブックオフもできたりなど東京資本の郊外型のお店がかなり進出してきていますよね。


市の中心部にあった軽食屋さんや古本屋さんとか大丈夫かな〜と心配だったりします。交通網の整備は、相馬にとって悲願でもあり非常に重要な目標でもありま すよね。ただ、交通網の整備は政府や国土交通省や県など色々な行政機関と調整しないといけないですが、歴史系のコンテンツの振興や都市計画など市内でやれ る部分で、もっと活性化していける余地があるのではないかと思っています。逆に、地域産業が未整備の段階で交通網が敷かれても、「ストロー効果」が発生す る懸念がありますよね。

□ストロー効果(ウィキペディア)

ストロー効果(ストローこうか)或いはストロー現象(ストローげんしょう)とは、交通網の開通により都市が発展したり衰退したりすることを指す。細かく見ていくと以下のようなものがある。

* ある交通網の分岐点が発展して分岐先が衰退する。
* ある交通網の起点・終点が発展して中継地点が衰退する。
* ある交通網の中で規模の大きい都市が発展して小都市が衰退する。


市の行政に直接タッチするものではないですが、市民レベルや市政レベルも提案やアイディア集めることは意義のあることかなと思います。本来的な意味では、 行政も市民が「こうやりたい!」ということを実行する機関なので、建設的に色々アイディア出してみるのは良いことではないかな〜と。でもご指摘のように一 番重要なのは市民の草の根の努力ですよね。

相馬市のクチコミ情報のポータルがあると便利かなと思っています。市内の色々な情報を集めたサイトとかSNSとか。オープンソースを使えば技術的には1時 間くらいで原型はつくれるので、何か構想を形にしてみようかなと思います。こういうサイトがあったら便利!というアイディアがありましたら、ぜひ

松川浦はもっと全国的にも名前が知られて良い場所ですよね。日本百景だし魚や海苔はおいしいし。松川浦観光協会のサイトはあるのですが、もっと積極的に 「日本潮干狩り普及委員会」とかつくって松川浦がリーダーになったりとか良いかもと思います。今は純粋に潮干狩りや磯釣りをしたい人を待っている状態です が、全国に潮干狩りや磯釣りの普及を呼びかけて、関心のある人自体を増やしたりとか。魚の情報ももっと発信していけるといいですよね。

そうすれば、観光客も増えて遊覧船も大きくなるかなと思います。磯関係の雑誌の発行もいいかもしれません。地理的には本当に穴場中の穴場で、東京から美味 しいものを食べに来たり、のんびり歴史観光を楽しむには絶好のポイントだと思うのですが、アピール方法とか工夫する必要がありそうですね。


相馬うまいものマップはいいですね!Google Maps使って地図に埋め込まれているとなお良いかもしれません。病院の診療時間は診療科と一緒に載せるのがいいですよね。あと、はじめて行く人はどんな 病院なのか不安だと思うので、院内の写真と先生のコメントが載っているとベストですね。飲食店も含め、相馬全体で使えるポイントカードとかあると便利かも と思います。ちょっと構想を整理してみますね。

市役所は、企画政策部の企画政策課が窓口かなと思います。でも、今は相馬市に住んでいなくて住民税を払っていない自分が行っても、市民の企画にはならない ですよね〜。うーん、やはり草の根で地道にが一番かな。石川島播磨重工の誘致は私もニュースで読みました。防衛と民間のジェット機のエンジン部品を製造す る工場ですよね。どんどん企業が入ってきて工業団地が活気づくといいですよね。IT産業も育ってほしいと思います。

□相馬工場の拡張工事が完成
〜田無工場を閉鎖し、相馬工場への移転集約を図る〜
http://www.ihi.co.jp/ihi/ihitopics/topics/2006/0517-1.html

常磐道は先でも書きましたが、現状で開通するとストロー効果が出てしまうのではないかという懸念があります。周辺の中核都市が通勤圏内になることで、相馬 から他の都市に働きに行く人が増えてしまうのではないかとか。実際、東京アクアラインの開通で、木更津は経済効果よりも川崎への人材流出や購買圏移動によ るマイナスが大きかったようです。その辺、バランスが難しいですね。


クーポン券が良さそうですね。うまいもの情報とセットなら、よし今度行って使ってみようと思うかも。あと、市外から来た人へは無料で「相馬パスポート」を 発行して、相馬の色々なガイドサービスを受けられるようにするといいかもしれません。そのためには市民ボランティアが必要ですね。そういえば、埼玉県も東 京に「さいたま領事館」を設置していますね。そんな感じで全国各地に相馬出身者が中心になって、領事館とかができて相馬情報を提供すると、草の根の威力を 発揮するかもしれません。今はアイディアを自由に集めて、何か取りまとめができるといいですよね。「相馬を良くするアイディア集」みたいな感じで。市民 も、出身者も、ボランティア団体も、市役所も、企業もみんなで検討することができそう。

デザインやナビゲーションは修正した方がいいかもしれないですね。Adobe GoLiveというソフトで作っているようですが、デザイナーがつくと大分変わると思います。

こちらは東京都庁が運営している観光ガイドです。
http://www.kanko.metro.tokyo.jp/

相馬の近くだと、蔵王観光協会はこちら。
http://www.zao-spa.or.jp/

同じ観光サイトでも、訴求性のあるデザインに工夫するだけで大分変わりますよね〜。

相馬の駅前に立つと、歴史と風情がある城下町というよりも、寂れた地方都市というイメージな風景が広がっているんですよね。駅前の景観はもう少し工夫した 方がいいのではないかと思います。城下町の様子を再現するとか、駐車場とか。相馬のズワイガニっておいしいですよね!「うつくしま浜街道」では東京からも お客さんが来てくださったのですね。そういうイベントを継続的に開催していくのが大事かなと思います。知名度向上のために、全国各地で試食会を開催すると か。 幾つかのフェーズに分けて戦略を練る必要があるかなと思います。

0.準備フェーズ(相馬の総合力を結集して活性化プランを練る)
1.普及フェーズ(全国で相馬キャンペーンを展開。相馬をPR。相馬の味を安価に知ってもらう。相馬関係のサイト構築)
2.迎えフェーズ(相馬ツアーを開催。とにかく相馬に来て楽しんでもらう。事前にクーポンや相馬パスポート発行、ガイド講習)
3.送りフェーズ(相馬に来てくれた人に、定期的に相馬通信を発行。相馬野馬追いファンの会員化。アンケートでより良い
改善を目指す)
4.通常フェーズ(相馬にしかないもの、相馬の良いものを、情報提供して適正価格で購入してもらう。販促方法検討など)


相馬市役所のWEBサイトの情報量はかなり豊富ですよね。実はちゃんと携帯電話用の防災速報のページも準備されたり(ただ、asp ファイルで構成されてるってことは、市役所のWEBサーバーはWindowsサーバーとIIS構成っぽいですね)。相馬の場合、まだ市役所や観光協会など 公共情報の発信が中心で、民間の地域ポータルが育っていないことが課題なのかなーと思います。例えば自分が以前いた中野区ではこういう地域ポータルがあり ました。

中野区タウン
http://www.nakanoku-town.com/

区民の口コミ情報・マンション・求人情報・地図・歴史まで、中野区の情報はかなりこのポータルにアクセスすると集められます。こういう民間の試みと公共情 報がセットになれば、市役所が発信している情報ももっと市民に伝わってきますよね。まずそういう地域情報発信の拠点となるサイトができると良いのかなと 思っています。

ただ、地方はWEBサイトを開設すれば直ちに活性化する、というものでもなくて、ねぎぼうずさんが書いているように、PCを持っていない人や、PC操作に 慣れていない方々も依然、多いという現実がありますね。mixiとか例にとっても、都道府県別のmixi利用率推計を調査したデータがありますが、福島県 は最も低く、総人口の1.1%。普及率は東京都の25分の1になっています。

全国都道府県別mixi普及率ランキング
http://ppm-combination.lovelogic.org/article/24708520.html

そんな中で相馬関係のWEBサイトを開設しても、利用する絶対数は急に伸びてはいかないと思うし、活性化の決定打にはならないと思います。ただ、重要な支援策の一つにはなると思っているんですよね。


相馬のIT普及率を増加させていくには、一つには回線面でもコンテンツ面でもインフラをきちんと整えてあげることと、あとはパソコン教室とかと連携しながら少しずつ利用者を増やしていくことになるのかなと思っています。

実際この前、東京で開かれた地域SNSの勉強会に参加してきたのですが、パソコン教室から始まって、地域の高齢者を中心に少しずつ利用者を拡大させている ケースなども、けっこうあるみたいです。地道な試みになると思いますが、努力を積み重ねていくことが大事なのかなと思います。

世間の復権

written by 齊藤 貴義 on

大学時代から「世間と公共空間」に関心がありました。
日本的世間の実像に迫ることはネットも含め日本社会を読み解く手がかりにもなると思う。

まずは6年前に私が自分のブログに書いた「世間」に関する拙い考察から。

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「世間」に関する予備的考察

0f3ac46c明 治以来、日本の社会科学は(その名の通り)西洋からの輸入概念である「社会」を主たる分析対象としてきた。「社会」と「世間」はイコールではない。日本に おける「世間」概念は、社会よりも強固に擬人化され、ウチとソト、私的領域と公的領域が複雑に絡み合う独自の共同認識である。公共圏論などで度々指摘され ることだが、日本人には西洋ほど明確な「公」と「私」の絶対的分立が見られず、いわゆるウチがソトに対して同心円状に相対的に広がる構造を持っており公私 の境目は曖昧である(ウチの家族、ウチの部署、ウチの会社、ウチの町、ウチの国)。

世間は実態がない。したがって社会と同様、世界を認識する概念である。ただ、社会は(近代西洋の社会科学による「社会の発見」以降)分析的意図から科学的 に純化されていったのに対し、世間はその発祥から現在に至るまで世俗の中にあった。社会を語るとき、一般的に社会はその抽象性が意識されるのに対し、世間 はその具体性や近接性が意識される(「社会が見ている」と「世間が見ている」の違い)。

実態は共同幻想にすぎない世間の擬人化は極めて強固なものである。それは「世間の目」というかたちで時として日本の共同体や個人を抑制する倫理観をもって語られる。あるいは厳しさや暖かさといった感情をもった主体として想像される。

社会階層から考えると、世間というのは発想を飛躍させるのを阻むハードルといえるかもしれない。世間は一般に創造性よりも協調性を尊ぶ。この世間という制 約から逃れ、創造性を発揮できるかどうかには階層間において有意な差があるかもしれない。世間を相対化するには一定の社会認識それ自体に関する洞察が必要 とされる場合が多いためである。

しばしば世間は「世間様」と呼ばれる。世間様と呼ばれるとき、そこには1対の個人が対置される。個人より世間様の方が重要視される場合がある。これは責任 論の場合に顕著である(世間様に迷惑をかけた)。ただ、ここでいう世間様への責任論というのは、「社会的責任」として捉えられる概念とは微妙な差異があ る。社会的責任とは公共圏に対する働きかけだが、世間様への責任は公私未分化な状況における私人の(各状況に応じた)発生状況によって大きく揺らぐもので ある。

世間とはしばしば「世間の目」というかたちで、日本の共同体や個人を抑制する倫理観をもって語られる。このイメージに比較的近い概念化モデルは、フーコーが指摘した「パノプティコン」ではないだろうか。

beae71ceパ ノプティコンとは…ベンサムが18世紀に考案した近代的な監獄施設。円環状に配置された建物の中心に監視塔を建て、すべての囚人を見渡せるようにしたも の。一望監視施設とも呼ばれる。ここで重要なのは、「自分が見られているかもしれない」という可能性を与えることである。薄暗い監視塔にいるのは、実は子 供や老人かもしれないし、あるいは誰もいないかもしれない。しかし、見られている可能性があるために、囚人の側に自己監視の作用が生じて、規格化され矯正 されていく。フーコーは『監獄の誕生』の中で、ここに権力の本質があると唱えた。パノプティコンのような発想は、学校、病院、工場、兵舎などの様々な近代 施設に見られ、権力を自動的なもの、非人格的なものにしているとした。たえず誰かの監視の可能性があるパノプティコンのような社会は、外部からの重圧によ る人格的な権力よりもはるかに過酷な管理を可能とする。

フーコーの指摘した権力観は、政府の実行機能にばかり注目しがちな私達の権力観に大きな示唆を与えるものであると言える。権力は、自動的なものとして人間 相互のコミュニケーションの中に介在する。犯罪も含め、私達の社会の構成員が逸脱を取りにくいのは、その逸脱行為が外部のまなざしに晒されるかもしれない 可能性、まなざしの中でどう扱われるかを、絶えず(あらかじめ)意識しなければならないためである。

このような状況下では、責任論はもはや社会的責任としての明確性を失い、私人に対する「社会的なまなざし」による裁可が中心となってくる。そのとらえよう のない社会的威力に対し、私達は世間という牢獄の中で生きる囚人としての傾向を導き出してしまう。これは前回述べた「公共圏への働きかけとしての『社会的 責任』」と「公私未分化な各状況における発生責任が問われる『世間様に迷惑をかけた』」と同根である。

ただ、フーコーは「近代なるもの」としてパノプティコンを位置づけたが、前回見たように世間の発祥は前近代の世俗の中からであった。「世間様への迷惑」は ある意味で公的な「社会的責任」として語られてきた部分があった(テレビのインタビューはその一端にすぎないが、人々が「世間に迷惑をかけて…」という発 言を公言できた背景には、私的な社会秩序が公的責任論へと、人々の思考の中で飛躍する(欺かれる)部分があったからではないだろうか)。
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6年前に比べて強く感じることは、「世間様の復権」だと思う。

現代において擬人化された社会認識としての「世間様」が復権した。しかも、それは単なる復権ではない。現代のテクノロジーとネットワークによって、世間は より強固な社会秩序として自らを再構成して浸透していった。「地域社会の安心の再建」をスローガンとして、地域社会は監視カメラの異端を記録している。さ らにネットワーク化された個人は、群れを成して異端な発言者を捜索し、彼らを冷笑し、時に憤怒と共に排撃する。

このような社会において、平常の生活を保とうとするための合理的選択は「世間」を意識することだ。世間を総体として意識して、そのメッセージを正しくデコードできることが、自らの社会的関係を維持する基礎となる。

最近の「空気」という言葉にも同じ厚みを感じてしまう。

だが、当然ながらこのような社会状況では、公共の言論は衰退する。公共の言論は社会の抽象化によって、すなわち常識と照らし合わせて自己を冷徹に分析する様々な営為によって、初めてその地位を確立することができるからだ。公共の言論が衰退した後に何が残るのか。

自分が可能性と不安を感じている部分はそこにあるように思う。

MediaWikiでXCache

written by 齊藤 貴義 on

MediaWikiでXCacheを有効にしました(サーバーはCentOS5.3)。
最新版のXCache(1.2.2)のtar.gzを取得。

/usr/bin/phpize
./configure –enable-xcache –with-php-config=/usr/bin/php-config
make
make install

さらに、インストール実行ディレクトリにxcache.iniが出来ているので、これをコピーします。

cp xcache.ini /etc/php.d/

xcache.mmap_path、xcache.size、xcache.var_sizeなどを適正に設定します。ここで実在するディレクトリをxcache.mmap_pathに設定すると、MediaWiki側で下記のエラーが出てしまいます。

xcache.var_size is either 0 or too small to enable var data caching in

あとはMediaWikiのインストールウィザードでXCacheを選択。
そうして出来上がったのが、みらいwiki。かなり高速に動いています。

みらいの出発点

written by 齊藤 貴義 on

みらいの出発点

3-10tyo07下町の老舗のラーメン屋さんや和菓子屋さんで食事をしてみて、「おいしい!」と思った経験はありませんか? ご自身の戦争体験を若い世代へ語り伝えようとしている高齢者の方々のお話を聞いたことはありませんか?老舗のお店の深みのある味も、高齢者の方々の戦争体験談も、いずれも「次の世代へ何かを残していきたい」という人間の営みから生まれてきたことであると思います。そして、そういう”情報の継承”という 発想でもって、社会問題に対して何か有効な情報拠点を築き上げていくことはできないだろうか、というのが”みらい”の出発点です。

Q.みらいって簡単にいうとどんなサイトですか?

isrA.次世代情報都市”みらい”は、学問やジャーナリズムなど様々な方法を駆使して、次の世代への情報の伝達を目指す仮想都市空間です。具体的な活動としては、政治、経済、社会、科学技術、国際、環境、教育、文化、芸術、家族など、あらゆる種類の社会問題の情報を都市空間の中に集積し、解決策の考案やシミュ レーションを行っていきます。比喩的に表現するならば、「伝統の味」の中から何か「新しい味」を発見できないかと試行錯誤を繰り広げている「調理場」のようなサイトです。伝統の味というのは、今までの学問やジャーナリズムの情報蓄積や、人々の情熱などを指します。新しい味とは、現代社会が抱える数々の問題群の解決策を指します。

Q.次世代への情報の伝達とは何ですか?

be9f8339A.私達人間は、有史以前から、「次の世代へ何かを伝えていくこと」に情熱を傾けてきました。文字がない時代には一族の語り部が、森の獣の倒し方、家畜の育て方、実り豊かな穀物の栽培方法、死者の埋葬の仕方、当時の人々の世界観などを口承によって語り継いできました。その情熱がやがて文字の発明を生み、そして文字によって様々な世代を経て蓄積された膨大な知恵が、世界のいくつかの地域に文明の芽を用意することとなりました。

文明が形成された後も世界の発展の基盤となったのは、この「次の世代へ何かを伝えていくこと」への情熱でした。有名無名、老若男女、古今東西を問わず、様々な人々が、家庭で、学校で、職場で、社会で、何事かを次世代へと伝えようと努力してきました。さらにまた、異端と呼ばれる新しい考えを有する人々が出現 したときも、その考えを次世代へと継承しようとする人々が必ず出現し、やがて歴史や真実を塗り替えていきました。今日の私達の発展は、まさに次世代へ向けての絶えることのない情熱の歴史でもあります。この情熱によって、ある世代だけでは解決困難だった問題の是正を促したり、次の世代へのさらなる豊かな選択 肢を用意し、未来への大きな進歩を約束してきました。20世紀が終わりを迎え、21世紀が幕を開けた今、私達は実に様々な知恵を受け継ぎ、そして残そうとしています。

fst65しかし今、その私達の築いてきた文明にも、ほころびが目立つようになってきました。政治・経済・社会・家族・国際情勢・地球環境・科学技術などあらゆる分野で、様々な問題群が噴出し、解決策の見つからないまま次の世代へと引き継がれようとしています。さらに、情報化社会の進展によって社会の進歩は急激に加速していますが、その情報の洪水の中で、未消化のまま消費されてしまったり埋もれてしまった有為な情報もあります。つまり、社会の構造が複雑になりつつあるなかで、次の世代への情報の伝達という人間の基本的機能が、その力を失いつつあるわけです。

“みらい”は、次世代への情報の継承を復活させることを目指しています。”みらい”には、管理人や訪問者から寄せられた「次の世代へ残したい情報」を情報化して集積します。さらに、学問やジャーナリズムの手法を駆使して現代の問題群を分析し、それらへの有為な解決策を次世代へ提唱していきます。”みらい” は、人間の「知恵」と「教訓」の限界への挑戦であり、「私達」と「これから」をつなぐ架け橋でもあります。”みらい”には、立法府たる市議会も、市民の広場もあります。集積された情報を元に、この仮想都市でシミュレーションを行うことができます。運営者である僕が取材した情報も多数提供していきます。機動力と徹底した情報の分析によって”みらい”を支えていきます。

Q.なぜ仮想都市の形態をしているんですか?

A.都市は私達の身近な生活空間です。したがってそこには建前と本音が複雑に交錯しています。一般に私達が天下国家を語る時、美しい言葉や美しい政策になりがちですが、それが自分達の身近な生活空間に関係してくるとなると、そうではなくなる場合があります。典型的な問題として原子力政策や基地政策における 「国益」と「地域住民の生活」の問題がありますし、さらに細かく見ていくならば、ゴミ問題・教育問題・環境問題・経済政策などについても、同様の二重基準 が存在しています(詰め込み編重の教育制度を批判しつつ、ゆとり教育がスタートすると自分の子供を学習塾へ通わせる親etc…)。このような二重基準 を意識して情報収集やシミュレートを行わなければ、次世代への情報の伝達は絵に描いた餅で終わるでしょう。身近な生活実践の中で情報を捉え直す。これは” みらい”の考え方の中心部分でもあります。

Q.なぜ学問とジャーナリズムの手法が必要とされるのですか?

Science Express in BerlinCreative Commons License photo credit: opyhA.社会問題を考えていく際、私達が注意しなければならないのは、問題の本質が巧妙に隠蔽されていることが往々にして存在するということです。ここでいう隠蔽とは、誰かが貴重な情報を隠している場合もあるでしょうし、「社会」が複雑な連関の中で私達の認識の「視座」を見当はずれなものにさせている場合もあ るでしょう。このような状況下で私達が社会問題を把握し、その解決策を考えていくためには、常識や美しい言葉にとらわれるのではなく、厳密な分析やデータ 収集を行っていく必要があります。そのために科学の手助けが必要となるわけです。しかし科学だけでは、厳密な分析は行えても、一般の人に対して問題の重要性を伝えたり、「現場」の実態を把握するのは困難です。ここでジャーナリズムの手法が必要となってきます。人々にわかりやすい切り口で問題を伝え、現場の様子も同時に伝えていく必要があります。このように、学問とジャーナリズムの手法が相互補完的に作用してこそ、次世代への情報の伝達も可能になると考えて います。

Q.そもそも社会問題とは何でしょうか?

dyurukemuA.社会問題という問題設定は、道徳的なものも含めた私達の多様な価値基準から逃れることはできません。典型的な例として犯罪が挙げられるでしょう。何をもって犯罪とするかは社会によって大きく異なっています。例えば日本にとって麻薬所持は犯罪となりますが、オランダでは麻薬が一部解禁されています。社会 的不平等の問題でも価値基準の困難がついてまわります。”みらい”では社会的不平等を扱ったコンテンツを多数用意して問題視する姿勢を打ち出していますが、社会的不平等を今以上に是正していくべきかどうかを巡っては、多様な価値からの議論が可能でしょう。健全な社会には一定程度の競争と格差が必要であ り、それを取り払ってしまったら社会の活力が失われるのではないか、という考え方も成り立ちうると思います。そのような考え方に立つと、健全な格差を強引 に是正していくことこそが社会的な問題となってくるでしょう。

このように、社会問題には何かそれ特有の本質があるのではなく、私達がそれを社会問題であると認識し、普段の行為の中でその認識を実践するとき、それは初めて「社会問題」となるわけです。 社会問題とは何より相対的なものであり、社会的に構築されたものであるわけです。このような中で社会問題を語り、分析し、解決策を考えていくことには、一 定の限界が存在するでしょうし、逆にそういう営みが問題を深刻化させてしまうというベクトルが働くことも考えられない話ではありません。実際問題として、 「そうであるにもかかわらず」私達は社会問題とされるものを捉えて直面していかざるをえないわけですが、私達が何をどこまで語り得るのかを知るために、たえず上記の視点を維持していこうと考えています。

Q.みらいはどうやって運営されているんですか?

A.管理人の個人的な信念とやる気で運営されています。仕事の合間や休日などを使って情報を整理し、更新しています。個人でやっているため、”みらい”は、実在するいかなる政治団体、宗教団体、市民団体とも無関係です。