Personal tools

自宅サーバーで運用中

written by 齊藤 貴義 on

このサイトは、ライブドア退職後になけなしのお金を出して買ってきた自宅サーバー(IBM X3200 M2)で運用しています。

dsc_0009

↑現在運用中の自宅サーバーです。Dual Coreでメモリを2GBに増設しています。
設置場所は台所です。湿気が高いのが難点ですが、ルームシェアしているので居間には置けません。

退職後の生活はかなり大変でした。マンションのオーナーから「無職になる人に部屋は貸せない」と千代田区のマンションを追い出されて、千葉まで撤退することを余儀なくされました。突然の引っ越しに伴って出費もかさんで、家計は火の車。体調不良も重なって沈黙の時期が続きました。それでも生活が何とか安定してきて、今はこの自宅サーバーを使って新しいサービスを創ってみたいと思っています。サーバースペックは申し分ないし、まとまった時間を掛けられるので、これからの動きにご期待ください。また体調が良くなって東京に帰れたらいいな。

ちなみに以前のマンションで稼働していた自宅サーバーは↓こちら。

1038380_590567265

主にファイルサーバーとして使っていました。こちらは騒音問題で引っ越しに際して撤去を余儀なくされました…。

国際関係用語

written by 齊藤 貴義 on

国際関係概念用語

国際社会・・・国際社会の特徴は、国内社会と比較した場合、以下の6点に要約される。(1)国内社会にはその社会共通の道徳的判断を反映した法律が存在するが、国際社会にはそのような法律は存在しない。(2)国内社会には法律を必要なときに変更するような政治機関が備わっているが、国際社会にはそのような政治機関は存在しない。(3)国内社会には法律の執行に携わる執行機関が存在するが、国際社会にはそのような執行機関は存在しない。(4)国内社会には紛争を法律に従って解決する裁判所が備わっているが、国際社会にはそのような司法機関が十分に備わっていない。(5)国内社会には個人や下位集団の暴力行為を阻止する優越的な公権力が存在しているが、国際社会にはそのような力は存在しない。(6)国内社会には人々がむやみに暴力に訴えるなど、不条理な行動を取ることは余りないという一般的な秩序状態があるが、国際社会にはそのような了解はない(ただし近年では少しずつであるが一部の了解が形成されてきている)。

このように国際社会は、複数の自立的な下位集団によって緩やかに構成され、単一の中心的権威が存在しないために権力が分散している、「無政府的な社会」である。しかし、無政府的な社会であることは、必ずしも無秩序状態を意味しない。国際社会の重要な主体の一つである「国家」は、他の国家や国際機関と様々な結びつきを築くことによって、緩やかではあるが多様な秩序を形成している。

主体・・・国際関係学における主体とは、以下の要件を兼ね備えた存在である。(1)その存在が明確に識別できること、(2)国際的な舞台で決定し行動する一定の自由を持っていること、(3)他の行動主体と相互作用をし、その行為に影響を与えうること、(4)一定の期間にわたって存続すること。このような主体として、国家、国際機構、NGOなどがある。

国家・・・国際関係における「国家」とは、それぞれに政府を持ち、地球表面の特定部分と人類の特定部分集団について主権を主張する独立政治社会のことである。国家は意志決定と行動の自由を持った自己完結的な行動単位であり、その自己完結性は領土と人民に対する排他的な統治として表現される。国家には主権が存在するため、国際社会において、形式的には個々の国家は平等であり、自己の統治について他から制約を加えることは一般的に認められないとされている。しかし、国家の目的は国益の追求にあり、それぞれの国々にはパワー(国力)のばらつきがある。したがって、国際社会における諸国家の形式的平等とは別に、実質的な国家の相互関係の中では、このパワーが大きな影響力を持つ。

国内類推・・・「国内現象と国際現象には類似性が存在する。特に国内秩序の諸条件は国際秩序とよく似ている。ゆえに、国内的秩序を維持している諸々の制度を国際社会レベルでも実現するべきである」とする考え方のこと。この点については国際政治学の中でも様々な論争があるが、特にイギリス学派が国内類推に対して批判的な立場を取っている。

戦争・・・政治単位によって互いに向けて行われる組織的暴力。戦争と殺人とを区別するものは、代理的・公的性格にある。つまり、殺害者を代理行為者とする政治単位そのものの象徴的責任である。国家にとっての戦争とは、政策目標を達成するための一つの手段である。国家同士の相互作用にとっての戦争とは、相互の国家の関係や枠組みが決定されていく基本的要因の一つである。国際社会全体にとっての戦争とは、国際社会の無秩序の現れであると同時に、国際社会において秩序を形成していくための一つの手段でもある(NATOによるユーゴスラビア空爆のように)。今日、軍事技術の進歩や国民総動員態勢の確立によって、戦争はその被害を拡大させている。冷戦終結後は世界各地で地域紛争が続出し、様々な悲劇が生じている。戦争をなくしていく国際環境の整備が急務であるといえる。

分析アプローチ用語

囚人のジレンマ・・・ゲーム理論の基本問題の1つ。2人の男が凶悪犯罪の犯人として逮捕されたとする。しかし、この2人の容疑を裏付ける証拠がなかなかあがってこない。そのため、取調官が2人を別々に呼んで、それぞれ次のように言い渡した。

「お前が相棒の罪を自白して相棒が黙秘したままならば、お前は直ちに釈放し、相棒を禁固20年の刑にする。しかし、相棒が自白してお前が黙秘したままならば、お前を禁固20年の刑にする」。「お前達が両方とも同時に自白したならば、両方とも禁固5年の刑にする。もし両方ともずっと黙秘を続けたならば、明確な証拠はないから1年くらいで釈放される」と。

取りうる選択は、「自白」(裏切り)と「黙秘」(協力)の2つしかない。しかも相棒がどういう行動に出るかはまったく知るすべがない。・・・よくよく考えてみると、囚人が「自白」した場合は、最高で無罪、最悪でも5年の刑ですむことがわかる。もし「黙秘」した場合は、最高では1年の刑だが、最悪の場合20年も刑に服することになる。したがって、もし自分のリスクを最大限避ける選択をするならば、「自白」ということになる。相棒も同様のことを考えたとすれば、「自白・自白」で、2人は5年の刑に服することになる。この場合、2人は、与えられた状況の中で自分のリスクを避けるために合理的な行動を取ったが、実は客観的に最も合理的な答えである「黙秘・黙秘」(協力・協力)による1年の刑の可能性は失われてしまっている。

このような囚人のジレンマは、国際関係の中で軍縮交渉の難しさなどを説明するためによく使われる。A国とB国が軍縮条約に調印したとしても、現実にそれぞれの国が軍縮をするという保障はない。もし、自国は条約に協力して軍備を縮小したが、相手国は裏切って軍備を隠し持っていた場合、自国の安全は大きく脅かされることになる。したがって、この場合も、与えられた状況の中で最も合理的な選択肢は「裏切り・裏切り」であり、客観的にみて最も合理的な「協力・協力」の選択肢はなかなか達成されないことになる。この囚人のジレンマをいかにして克服していくかが、国際協調の1つのカギとなっている。

合理的選択アプローチ・・・危機研究の有力な方法論的アプローチの一つに、アリソンの合理的行為者モデル、ブエノ・デ・メスキータの期待効用モデル、パウェルのゲーム論モデルによって代表される「合理的選択アプローチ」がある。これらのモデルでは、国家は順序立てられた選効(例えば、国家の安全、経済的利益、威信)を持つ一枚岩の合理的な意思決定主体として捉えられる。そして、合理的な国家プレイヤーは、不確実性という制約の中で、あらゆる選択肢の便益や費用を慎重に吟味し、期待純便益を最大化するように行動することが前提とされ、分析が進められる(この主体の「合理性」は、行為主体が直面する制約条件とその行動とを論理的に関連づけるために導入された仮定である)。

構成主義的アプローチ・・・構成主義的アプローチは、国家の選好を、文化的・歴史的文脈の中で醸成されるアイデンティティ、または政策決定に用いられる知識や思想によって、内生的に形成される変数と見なす。構成主義のカテゴリーには代表的なものとして以下の2つのアプローチが内在する。

1.自然法的な構成主義・・・レジーム研究における合理的選択の有用性をほぼ完全に否定しながら、レジームを国際社会の規範的構造の中で捉える社会学的な方法論を提示。このアプローチでは、国々の協力的行為は、合理的アプローチが見なすような効率最大化行為ではなく、共同体の中で間−主観的(inter- subjective)に醸成された集合的アイデンティティから派生した社会的行為であると見なされる。

2.新古典派的な構成主義・・・合理的選択の有用性を否定せず、レジーム形成を促進する要因として、政策に関係する「理念」や「知識」の政策決定者間での共有が重要視される。ゴールドスタインとコヘインによれば、理念が意志決定に影響を及ぼす道は3つある。(1)理念が政策決定に必要な選好や目的と政策を関連づける因果関係という「道標」を供給する場合。(2)合意問題にパレート最適な合意点(多数均衡解)が複数ある時、理念が、政策決定者に対し、その中からある特定の一つを選択することを手助けする「焦点」の役割を果たす場合。(3)理念が「制度化」されて、政策に恒常的に影響を及ぼす場合。国々が新しい共通の知識を習得して学習を行えば、国際協力に不可欠なリアリティについての共通認識、政策の整合性、ひいては利益の調和を国家間で樹立できるようになると考える。

ラショナリスト(従来の合理的選択アプローチを取る側)は、国際政治が客観的に観察できる「モノ」と個人(および個々人に還元されうる集団)から成ると考える。他方、コンストラクティヴィストは、国際政治がルール、規範、原則、文化などの制度から成り、制度によって「モノ」や個人が意味や価値を持つと主張する。たとえば、ある布や歌を国旗や国歌とみなして主権国家を象徴させ、主権国家を「われわれ」のよりどころとし、ある建物を議事堂や裁判所、そして紙片を箱に入れる動作を投票として民主主義を象徴させ、それらを守るべき価値とするのは、すべて制度のなせるわざである。つまり、五感で知覚できる「モノ」は、それ自体ではなく、制度によって「ものをいう」のである。

国際関係史と学派

イギリス学派・・・戦後のロンドン大学を中心に形成された国際政治学の一派。国際社会を概念の中心に議論を展開したのは、M.ワイトやC.A.Wマニングがはじめであり、その後H.ブル、F.S.ノーセッジ、英国キール大学のA.ジェイムズ、LSEのR.J.ヴィンセントなどに引き継がれた。イギリス学派のアプローチの特徴は、哲学の「全体論的」な立場にある。つまり、全体はその部分の機械的総和より大きな存在である。国際社会は、それを構成している主権国家などの<部分>よりは大きな、何か独自の論理構造をもつ社会であるとみる。

そうした構造として、論者によって重点は異なるが、国際慣習法・戦争法・中立法・不干渉原則・主権(各国の国内法体系が他国の法体系から独立していること)・勢力均衡・外交慣行などが重視される。それらは、数々の政府の変革にもかかわらず、国家そのものの生命をもこえて存続してきた。国際社会の部分たる主権国家の行動も、国際社会として統合させられている国際慣習法やその他一切の社会規範・制度との関連性を無視しては理解できない。広い意味での規範の体系を、そもそもの社会の成立に不可欠な構成要素・無意識的に遵守している構造としてその時とその時代における意味を明らかにしていこうとする考え方は、ポール・リクールの構造主義的解釈学と考え方が一致している。

その他にも、彼らは、国際社会を国内社会とは別個の、国内的類推に依拠する必要のない「秩序」であることを国際関係史から論証しようとする。 また、平和学とか永久平和構想といった、争いを生じさせやすい価値を目的とするユートピア論には批判的である。 さらに、国際事情の大きな問題の理解については、数量分析・行動科学的アプローチを疑問視する。

Laconicaのインストール

written by 齊藤 貴義 on

laconicaLaconicaとは、オープンソースで配布されているtwitterのようなマイクロブログアプリです。
今日、Laconicaをサーバーにインストールしてみました。

Laconica(みらい)

LaconicaのインストールにはPHP5.2以上が必要です。当初はPHP5.1の環境にLaconicaをインストールしようとしたのですが、XMLWriterのエラーが出てインストールが進みませんでした。CentOS5.3では、下記の方法でPHP5.2にアップデートできます

#rpm –import http://www.jasonlitka.com/media/RPM-GPG-KEY-jlitka
/etc/yum.repos.d/utterramblings.repo に下記の内容をコピー。
[utterramblings]
name=Jason’s Utter Ramblings Repo
baseurl=http://www.jasonlitka.com/media/EL$releasever/$basearch/
enabled=1
gpgcheck=1
gpgkey=http://www.jasonlitka.com/media/RPM-GPG-KEY-jlitka
#yum update

PHP5.2とMySQLの環境が整ったら、Laconicaの公式サイトからソースをダウンロードします。最新版は0.7.3でした。

#wget http://laconi.ca/laconica-0.7.3.tar.gz
#tar zxvf laconica-0.7.3.tar.gz

展開してできたlaconicaのファイル群を公開ディレクトリに移動させます。公開ディレクトリに移動させた後、/install.phpをWEBから実行。サイト名とデータベースの初期設定画面が出てきます。ここで情報を入力するとconfig.phpが生成され、DBスキーマが出来上がります。ただし、このconfig.phpの情報は必要最低限のものしか入っていません。config.php.sampleを参考に下記の情報を挿入しました。

$extra_path = array(”(PHP OpenID設置パス)”, “/usr/local/share/php”);
set_include_path(implode(PATH_SEPARATOR, $extra_path) . PATH_SEPARATOR . get_include_path());
$config['site']['name'] = “mirai”;
$config['db']['database'] = “mysql://(接続情報)@localhost/mini”;
$config['site']['fancy'] = true;

これで初期インストールは完了して画面が表示されます。

ジェンダー用語

written by 齊藤 貴義 on

ジェンダー・・・女性存在と男性存在の生物学的側面を指すセックスと区別され、男性と女性の違いの社会・文化的側面、すなわち「非生物学的側面のすべて」を意味する概念を指す。元々は文法上の「性」をあらわす言葉であったジェンダーがこのような使われ方をするようになったのは、第二期フェミニズム運動以降である。あらゆる社会は何らかの形でジェンダー秩序を生産し、ジェンダーを正しく実践できるかどうかに応じてサンクション(賞罰)が公式・非公式とわず組み込まれている。社会における性差別は、ジェンダーを生物学的性差と混同させるという社会観念を活用することによって巧妙に構築されており、このような性差別の実態を告発していくために、第二期以降のフェミニズム運動において、ジェンダー概念の創出とその構造の分析が不可避となったのである。

学校・・・一般に現代社会において、学校は社会の平等化に寄与する重要な機関の一つであると見なされている。しかし、先進国でいわゆる「教育爆発」が生じ、高等教育進学率が男女とも急激に増加した後も、男女のジェンダーは形を変えて様々な教育過程で確認されている。近年のジェンダー研究においては、学校は社会の平等化に寄与する一方で、ジェンダー秩序の再生産に寄与している側面も併せ持っているのではないか、という視点に立った業績が多数出てきている。欧米における教室観察を通じた実証研究により、学校には以下のような傾向の存在することが指摘されている。

1.教室運営の慣習や教師の言動の中に、男女の差異や対比、固定的な性役割を伝達するメッセージが「隠れたカリキュラム」として含まれている。
2.教師−生徒間の相互作用において、教師からの働きかけにジェンダー・バイアスが確認されている。まず、教師は女子よりも男子に多く働きかけるという量的差異が見いだされた。発言を求める指名も、励ましも賞賛も、叱責も、男子は女子よりも多くのものを教師から受け取る。つまり、教師は教育の対象として女子よりも男子を優遇し、差別的対応をしていると指摘されている。さらに、教師は生徒の性別によって異なる評価、異なる対応をするという質的差異も見いだされている。学業については、女子の好成績はまじめな努力の賜物とされるのに対して、男子の場合は悪い成績を取ったときも隠された潜在能力が評価され、より高い達成に向けて叱咤激励される。また、女子は繊細で動揺しやすいという認識から、教師は叱責や間違いの指摘といった批判的対応を控えがちとなる。
3.生徒の側の行動として、男子の方が女子よりも活発に学習活動に参加している。男子は女子よりも多く発言し、教師に質問して手助けを求め、グループ活動をリードする。教室空間は質的にも量的にも男子によって支配される傾向にある。

性別役割分業意識・・・「男は仕事、女は家庭」などのように、性別と社会における役割や職業を結びつけようとする意識を性別役割分業意識と呼ぶ。性別役割分業意識は歴史的にあらゆる場面で確認されてきたが、とりわけこのような意識が強くなったのは近代になってからである。産業化の進展や職住分離、法律によって規定された家制度などによって、性別役割分業意識が強化され、専業主婦率の向上に影響をもたらした。近年では、男女共同参画社会を目指す諸政策の推進や、女性の教育水準の高まり、経済の不安定性の増大などによって、性別役割分業意識は徐々に薄れてきている。だが、女性の社会的属性によって性別役割分業意識がある程度規定される傾向があり、この問題をどう捉えていくかが男女共同参画社会の重要な争点となっている。

家父長制・・・社会学における家父長制(patriarchalism)は、「家長である男子が家父長権によって家族員を支配・統率する家族形態」を意味するが、フェミニズムにおける家父長制(patriarchy)は、「男性が女性を支配し、年長者が年少者を支配する権力構造」を意味する。フェミニズムにおける家父長制は社会学における家父長制よりも包括的な概念であり、とりわけマルクス主義フェミニズムにおいては家父長制を可能とする物質的基盤について様々な議論が交わされている。だが、従来の家父長制研究では文化的相違に関する考慮が十分ではなかった。文化を越えた普遍的な家父長制という概念は、家父長制が見いだされる具体的な文化の脈絡でジェンダーの抑圧がどのように行われているかをうまく説明できない、また、例え具体的な文化の脈絡を考慮しても、それが普遍的な家父長制を前提とした議論である限り、最初に仮定した普遍原理の「実例」や「例証」をそこに見いだしているにすぎないという批判もある。

ハビトゥス・・・P.ブルデューによれば、ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造のことを指す。人々は様々な社会経験の中で、様々な意識や言説をつくりだし、その社会の中で有利に暮らせるような身体技法を身につけていく。つまり、社会構造はハビトゥスによって身体化され、さらに身体化された様々なレベルの個人の活動が社会構造を再生産していく。

身体の支配

体育・・・身体に関連した分野では男女を意識的に区別した上で文化が構築されることが多い。特にその典型的な例が、学校教育過程で行われる「体育」の授業である。日本でも明治時代に近代的な学校制度が整備され、「体操科」が教育科目に組み込まれることとなったが、男子は「普通体操」と「兵式体操」の二本立てであったのに対し、女子は「遊技」が適当とされ、授業時間数も男女間に格差が存在した。日清戦争以降、女子教育における体育の重要性が指摘されることになったが、そのモデルは「容儀を整え、精神を快活に」(1901年「高等女学校令施行規則」)することにあった。戦後、教育機会の男女平等の推進がはかられたが、体育教育に関しては「男女の特性に応じて」という名目のもと、男女間のカリキュラムや授業時間の格差が温存された。体育科における男女の制度上の格差が撤廃されたのは1989年の学習指導要領の改訂によってである。

しかし制度上の格差が撤廃されても、体育に関する男女のジェンダーは根深く残っている。例えば「体力テスト」は一般にどの年齢層でも男子の値が女子の値より高く、思春期の13歳頃から男女差が拡大していく傾向にあるが、「ソフトボール投げ」「ハンドボール投げ」は男女間の成績の格差が最も大きく、6歳という極めて早期の段階から男女格差が進行している。さらに12歳を過ぎると女子の「ハンドボール投げ」にはほとんど成績の上昇が見られなくなる。この点は思春期における男女の性ホルモンの分泌の差異だけでは説明が困難であり、広く遊びやスポーツ文化の中で男女の身体構成が「社会化」されていっていることへの配慮が必要となっている。また、体育の授業における教師の働きかけについても、男子をサッカーや野球などを通じてより競争的なからだにしていこうとしているのに対し、女子をダンスなどを通じてより表現向きのからだにしていこうとしているなどの差異が存在する。現在の男女の体力格差は、そのような体育教育の差異を経て形成されたものであり、必ずしも生得的差異を忠実に反映したものとは言えない。

習俗用語

恋愛・・・恋愛という言葉が用いられるようになったのは、明治時代になってからである。しかもその由来は輸入概念であった。当時、『女性雑誌』という雑誌の主宰者をしていた巌本善治が、英語の「love」に「恋愛」という言葉を当てはめた最初の人物であると言われている。彼は、「恋愛」とは「清く正しく」「深く魂(ソウル)より愛する」ことであり、「恋」のような「不潔の連感に富める日本通俗の文字」とは異なって、非常に崇高で価値あるものであると説いた。彼の恋愛論をきっかけとして、「恋愛」という言葉や感情・行為が広く社会に浸透していくことになった。

主婦・・・近代の中産階級において、豊かな暮らしと余暇時間の拡大が女性を生産労働から切り離し、主婦の誕生をもたらした。主婦は、庶民階級のように共同体全体で生活役割を共有するのではなく、貴族階級のように使用人なども含めて間接的に生活役割を共有するのでもなく、家事や育児などの生活役割を家庭内で一手に引き受けて、完結させる役割を負うことになった。今日的な意味での「家族愛」や「母性愛」が唱えられるようになってきたのは、実はこの「主婦の誕生」が生じた時代と重なる。

生物的性差用語

生物学的性差・・・雄と雌の配偶子が1セットになることで行われる生殖は有性生殖と呼ばれる。ヒトは有性生殖をする生物の一種である。有性生殖では、雄と雌によって精子と卵子という2種類の配偶子が生産される。雄によって生産される精子は、比較的小さな配偶子であり、それ自体はほとんど栄養を持たず、生産頻度は高い。雌によって生産される卵子は、比較的大きな配偶子であり、それ自体豊富な栄養を含んでおり、生産頻度は低い。

一般に、有性生殖をする生物においては、このような繁殖方法の差異だけではなく、形態や行動に関しても様々な性差を見せる。例えばクジャクの羽は雄は派手な飾りとなっているが、雌は地味なものとなっている。バッタの雄は鳴いて雌を呼ぶが、雌は鳴かない。このような生物学的性差には、種や個体を越えて一貫している傾向も存在する。それは、「武器」や「装飾」などの派手な形質を持っているものは雄、同性どうしで闘争を繰り広げるのは雄、鳴いたり踊ったりして求愛行動を積極的に行うのも雄、そして早死にするのも雄、などの傾向である。少数の種では、これらの形質や行動が雄と雌とで逆転しているケースもある。このような生物学的性差がなぜ存在するかを巡っては、進化生物学の見地などから様々な仮説が提起されている。

親の投資・・・トリヴァースが提唱した概念。親の投資とは、「親が以後の繁殖機会を犠牲にして、今いる子の生存率を上げるようにする世話行動のすべて」を指す。具体的には、卵の保護や抱卵、育雛、授乳、子守りなどが含まれる。トリヴァースは、性淘汰の強度は両性間の親の投資量の差が大きいほど強く、親の投資が小さな方の性が、大きな方の性との配偶機会を巡って争うと指摘した。一般に生物界の中では、雄の方が雌よりも投資量が低いため、雄どうしの闘争が激しくなる。ヒカレシアやレンカクのように性役割が逆転した生物では、雌が雄を巡って争っている。このように「親の投資」という概念は、ダーウィンの性淘汰の理論を一歩拡張して理論化することに成功した。

実効性比と潜在的繁殖度・・・「親の投資」をさらに一歩拡張した理論。実効性比とは、ある時点を取ったときに繁殖の準備ができている雄の数と雌の数との比を指す。潜在的繁殖速度とは、「配偶子を生産するまでに要する時間」+「配偶に要する時間」+「子育てに要する時間」によって決定される、両性が1回の繁殖から次の繁殖に取りかかるまでに要する潜在的な時間を指す。一般に、小さな精子を生産する雄よりも、大きな卵子を生産する雌の方が、潜在的繁殖速度は遅く、実効性比も(雄・雌がほぼ同数であった場合)雄の方が雌よりも高くなる。したがって、実効性比が高く潜在的繁殖速度が速い方の雄が、そうではない雌を巡って争うと指摘されている。

華族用語の基礎知識

written by 齊藤 貴義 on

1947年、新しく制定された日本国憲法によって、それまで国内に残存してきた旧来の身分制度は否定されました。その旧来の身分制度の1つに華族があります。華族は近代日本の特権的身分の形成史と文化史を理解するための貴重な手がかりであり、さらに身分制度が否定された現行憲法下においても、一種独特な家柄や家風を今もなお維持している、いわゆる「名家」が多数残存しています。近年になって、そのような華族をブルデュー社会学や民族誌の観点から分析している研究成果が出始めています。ここではその基礎用語を概観していきたいと思っています。

前提・理論用語

華族・・・ 大政奉還と明治維新によって、それまでの士農工商を基礎とした身分秩序は否定されたが、明治政府は天皇を頂点とした近代国家の建設を志向していたため、身分制度は完全に解体されることなく再編成されることになった。このうち、公家や大名家などの旧支配層が世襲制の「華族」という身分として統合されることになった。当初の華族総数は427家。うち公家が136家、大名家が248家、公家と同格が28家、大名と同格が15家であった(同格とは、位の高い一部の公家の分家・徳川諸家・付家老家など)。さらに華族令が公布される1884年までに、特定の分家・社寺住職・神職僧侶など、さらに76家が新たに加えられた。さらに、やがて国家に対して功績のあった士族や平民も勲功華族として華族の1員となることが認められるようになった。当初は少数だった勲功華族も、 1928年頃には倍増している。1947年、日本国憲法第14条によって華族制度の存在が否認された。


華族令・・・ 1884年に公布された法律。公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五段階の格付けを定め、旧支配層のほぼ全員が子爵以上の爵位を授けられた。公家華族の爵位は古くからの家格、主に先祖が就いた最高の官職が基準となった。先祖が摂政・関白を務めた五摂家はすべて公爵、太政大臣を務めた精華家は侯爵、左大臣・右大臣を務めた大臣家や大納言の位の中流の公家は伯爵、その他の公家は子爵となった。大名華族の爵位は主に石高によって定められ、15万石以上の大藩は侯爵、 5万石以上の中藩は伯爵、それ未満の小藩は子爵となった。徳川家だけは例外で、家格により本家は公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵となった。

華族の教育制度

学習院・・・ 1847年、仁徳天皇が京都御所内に公家のための学習所を設けた。この学習所は幾度かの再編成を経て、1876年に東京で「華族学校」という校名で正式に発足した。華族学校は皇室から与えられた土地に建てられ、華族会館が設立を支援した。さらにその翌年には、明治天皇や皇后の親臨のもとで開校式が行われた際、「学習院」と改名された。

学習院は文部省ではなく宮内省が管轄した。華族の子弟は原則として無償で学習院に入ることができた。平民は当初はごく限られた人数しか受け入れられず、授業料は有償であり、幼稚園や高等科への入学は禁止された。これらの差別的待遇は、1924年の制度改革まで継続し、1924年以降も授業料の金額格差・平民の幼稚園への入学禁止などのかたちをとってしばらく存続した。第二次世界大戦後、新憲法によって華族などの身分制度が否定され、宮内省の後ろ盾も失った学習院は、私立学校として再出発した。

タキエ・スギヤマの調査では、戦前の華 族の情報提供者のうち、71%が学習院で教育を受けていた。帝国大学の入学者が徐々に平民出身者で占められていく中で、学習院は華族階級を中心とした一定の閉鎖性とエリート教育を維持してきた。これにより華族階級は、学習院での教育を通じて、ある程度同質な文化を形成することとなった。

新聞社の報道姿勢

written by 齊藤 貴義 on

yomi新聞社は報道機関であると同時に、言論機関でもあり、営利企業でもあります。したがって各社とも他社との差別化をはかり、できるだけ多くの固定読者層を獲得しようとします。このため、各社の報道姿勢や言論内容は表向きは公正中立であると言われますが、実際にはそれぞれの新聞社ごとに独自の色がつくことになり ます。

読売新聞は、スポーツ面で自社がスポンサーとなっている野球チームの読売巨人軍について大きく取り扱ったり、カラーを活用して文字の大きい紙面構成にしたり、読者の興味を引きそうな記事は大きな写真入りで掲載するなど、興行的な手法も多用しています。言論においては、過去に「読売新聞憲法改正試案」 という読売独自の憲法改正案を発表、社会へ向けて改憲の必要性を強くアピールしました。通常の特集の中でも、自衛隊の法制面・装備面の問題を指摘した記事を多数掲載し、危機管理や国際貢献に自衛隊を活用することに前向きな姿勢の社説も展開しています。読売新聞の渡辺恒雄会長が中曽根元総理のブレーンだったこともあり、社説も自民党の保守本流の意見に近い論調が多く、この姿勢が時として「政府寄り」「政府の広報紙」と批判されることがあります。

一方の朝日新聞は、 戦前は最も国家主義的な論調の新聞でありながらも、戦後は護憲と反権力の論陣を張ってきました。非軍事・住民自治・戦争責任・基地問題・社会福祉・環境問題などを扱った特集を多く掲載し、国際的な危機が発生した場合には、軍事による解決よりも対話と協調を唱える社説を展開しています。特集や解説も、他紙と比較して理念的で専門性が高い傾向にあります。このような報道姿勢は、主にインテリ層(朝日は他紙と比較して高学歴層・高収入層の購読率が高いと言われています)や革新層などの固定読者層の獲得につながっている一方で、視点が一面的であり中立性を欠くとする批判があります。

毎日新聞は全国紙の中では比較的リベラルですが、固定読者層の対象を絞り込めていないため部数が低迷しています。このため、紙面の大幅な刷新と署名記事の増加によって記事の読みやすさ・信頼性に力を入れています。産経新聞も 「新しい歴史教科書をつくる会」の一つの活動拠点となり、さらに国際情勢(とりわけ中国や北朝鮮の脅威)に対応するための自衛隊の増強を主張するなど保守層にターゲットを絞った報道姿勢をとっています。夕刊の廃止も決定してニュース解説に力を入れていく姿勢を打ち出しています。

このように全国紙だけ見ても各新聞はそれぞれ独自の報道姿勢を持ち、言論活動を行っていますが、その一方で「これらの新聞報道は単に同一の情報源を各社独自に” 脚色”しただけであり、日本の新聞社の取材体制は画一的だ」とする批判もあります。このような批判は、新聞社の「記者クラブ体質」の問題に依拠しています。

記者クラブと番記者

記者クラブとは、名目上、政府機関、地方自治体、各界団体、大企業などのニュース・ソースに出入りする取材記者が、相互の親睦のためにその内部に自発的に結成された会、ということになっています。しかし実際には、取材記者が情報源に接するための前線基地として機能しており、日本の報道活動の上で重要な機能を担っています。全国に400以上ある大小の記者クラブでは、膨大な発表内容の処理が共同で行われ、記者同士の情報の共有や記者会見の主催なども行われます。一般に記者クラブに加入できるのは、日本新聞協会か民間放送連盟に加盟している会社がほとんどで、記者クラブ室や共同記者会見へは関係者以外の出入りが厳しく制限されています。定例記者会見へ外国人プレスやフリージャーナリストなどにも参加を認めているクラブはごくわずかです。

記者クラブは「内輪の仲間」という意識が強く、情報の安定供給も目的としているため、加盟社のどこかが他社を出し抜いて報道することを極端に嫌います。このため記者クラブは特定の社の出し抜きに対して、クラブからの除名などの制裁措置を取ることがあります。さらに、共同で情報源(情報提供者)と接触するため、仲間うちの連帯意識の中で「記事にできる情報」と「記事にできない情報」の分類が成立することになります。したがって、記者クラブ体制の元では取材競争は抑制され、画一的な情報源を各社が自社のスタンスに見合うように脚色しただけの記事が新聞に掲載される傾向が強くなります。

この記者クラブと対照的な役割を担っているのが、「番記者」の存在です。番記者とは、特定の政治家・派閥・政党の周囲に四六時中張り付いて、その動静を切れ目なく追う記者のことで す。番記者は基本的に個人単位で行動し、いかにして大物政治家から重要な情報を引き出すかに腐心します。しかし、この番記者にも弱点があります。日本の政治は欧米と比較して密室性が高く、表にならないところで様々な取引が行われます。このような環境の中で他社を差し置いて有力な情報を得るには、政治家といかに関係していくかが重要になってきます。したがって、政治家に近い位置にある番記者は重要な情報を得ることができますが、それゆえに「記事として書けないこと」も出てきてしまいます。

特に自民党においては、派閥の領袖の動向が政策過程や権力過程に大きな影響を与えているため、各新聞社は派閥の構造に合わせて番記者を配置しました。やがて新聞社内でも、政権派閥(自民党主流派)を担当する番記者が「花形」とされ、社内の政治部における出世にも関係してくるようになりました。大手新聞各社の政治部長は、その多くが自民党の主要派閥の番記者から、自民党担当のキャップ、政党担当のデスクを経ていました。政治部の記者教育において、特定の政治家に食い込んでいくことが重視されていたわけです。

このような体制は、記者と政治家との癒着を生むことになりました。特に55年体制下では、派閥の番記者が担当派閥の利益のために、政界工作の一翼を担った場面もあったようです。また、番記者の中から国会議員へ転身し、担当していた派閥に所属するようなケースも見られました。政治家側も番記者を積極的に利用しようとしました。懇談などは気に入った番記者以外には応じないなどして、記者の系列化を生むことになりました。このような番記者のあり方を巡って、新聞社内でも制度改革の動きが試みられましたが、有力な情報を握る政治家と個人的関係を持つことのメリットは捨てがたく、失敗に終わっています。

渡辺恒雄氏と政治

このような新聞記者と政治家との「個人的つながり」は、様々な記者経験者の証言や著作からもうかがい知ることができます。その中でも特に、現在、読売新聞会長と日本新聞協会会長の職に就いている渡辺恒雄氏は、自らの回顧録の中で、政治部記者時代の政治家とのつながりを詳細に語っています。

例 えば1960年に起きた「樺美智子さん事件」において、政治部記者であった渡辺氏は、自らが政府声明の文章を執筆した事実を認めています。(樺美智子さん 事件・・・1960年6月、日米安全保障条約反対を叫ぶ全学連の学生達が国会内に突入。警官隊との激しい衝突の中で、デモに参加していた東京大学の学生だった樺美智子さんが圧死した事件)

−他にこの安保騒乱で憶えていることはありますか。
渡辺 騒乱のほうはないな。ただ政府声明を書いたよ。
−政府声明をですか?
渡辺 そうです。六月十五日に樺美智子さんが亡くなったでしょう。そのとき内閣が声明を出すんだけど、僕が書いたんだよ。(略)僕に「書いてくれ」と言うんだよ。だから首相官邸裏の官房長官官舎で、僕は政府声明を書きましたよ。そしてその原稿が閣議にかかる。結局、一行を除いて全文そのまま政府声明として、発表されることになるんだ。
(渡辺恒雄『渡辺恒雄回顧録』中央公論新社)

さ らに渡辺氏は、「盟友」と呼ぶほど親しい関係にある中曽根康弘首相(当時)に対し、「死んだふり解散」につながる提案書(建白書)を手渡し、その後の党則改正問題についても中曽根氏の代理として後藤田氏に相談に行ったことについても回顧録で語っています。(死んだふり解散・・・1986年、野党に対して 「解散しない」と公言して「死んだふり」をしていた中曽根康弘首相が、衆議院の定数是正が実現すると直ちに衆議院を解散。初の衆参同日選挙が実施され、自民党が空前の大勝利を収めた)

渡辺 (略)こうして僕は、調べつくした建白書を中曽根さんに持っていって、「死んだふり、寝たふりしなきゃダメですよ」と言ったんだ。
−それはいつごろから調べ、いつ渡したのですか?
渡辺 もちろん、解散の一ヶ月以上前ですよ。もっと前だったかな。
−結局、六月二日、中曽根首相は臨時国会を召集して即日解散しますが、噂はされていたものの、よく話が漏れませんでしたね。
渡辺 そうだよ。僕がいちばん危惧したのは、中曽根さんが漏らすこと。しゃべったら即おしまいだよ。側近にでもおしまいだからね。でもあのとき中曽根さんはよく死んだふりをしたと思うね。芸術的に死んだふりをしたよ。(笑)
(略)
−結局、「死んだふり解散」は、衆議院で追加公認を入れれば三○四議席と自民党に大勝利をもたらしますね。そして中曽根総裁任期延長の話が出てきます。このあたりはどうご覧になっていましたか。
渡辺 大勝した後、すぐ辞めるというのはおかしいからね。しかし通常二年という任期が党則改正で一年にされてしまう。中曽根さんはこれを嫌がって、「二年やらなくて一年でいいから、形式上は任期を二年延長しておいてほしい」と僕に言うんだ。それで僕に、「後藤田さんに会って相談してくれ」と言う。後藤田さんのところへ、僕は行きましたよ。ところが行ったら怒鳴られるんだ。「この大勝を背景にして、もう驕りが出たのか」と言われてね。とにかく「それは驕りだ、一年だ。二年に延長なんてとんでもない」と言われたよ。
(渡辺恒雄『渡辺恒雄回顧録』中央公論新社)

テレビの台頭

このような記者クラブ・番記者を中心とした閉鎖的な情報収集体制も、今日では大きな転機を迎えています。その一つのきっかけをつくったのがテレビの台頭で す。テレビは新聞に比べて後発のメディアであり、(提携している新聞社の強い影響下にありながらも)記者クラブや番記者のしがらみからは比較的自由な状態 にありました。また、当初はテレビの報道番組がそれほどビジネスにならなかったので、テレビ局の政治部の規模は小さく、新聞社の半分程度の人数で動いてき ました。人数的な制約によって、テレビ局は新聞社のように各派閥に番記者を張り付けることができず、派閥の政界工作に深く関与する機会も少なかったようで す。

そして、1985年からテレビ朝日で放送が開始された「ニュース・ステーション」が今までの報道番組の概念を塗り替えることにな ります。「ニュース・ステーション」は報道局が制作していますが、バラエティー番組の製作会社であったオファイス・トゥー・ワンの支援を受け、同社の下でバラエティー番組の司会を務めていた久米宏をメインキャスターとして起用しました。キャスターの話術に加え、現場からのレポート、地図や模型を使った解説、専門家のゲストによる解説などを多用して高視聴率を維持、報道番組もビジネスとして成立することを証明しました。その後、筑紫哲也をメインキャスター とする「ニュース23」、ワイドショーを担当するテレビ朝日の社会情報局がワイドショーと同じ感覚で当事者の生の声を伝える「サンデープロジェクト」なども放送が開始され、報道番組も視聴率競争の時代へと突入しました。

視聴者はテレビを通じて政治家の生の発言を聞くことができ、さらに 新聞社の番記者が隆盛であった時代には表に出られなかった若手議員が歯切れの良い議論を展開します。言外に様々なことを匂わせつつ問題への明言を避ける派閥領袖との違いを見せつけました。政治家の中にもテレビの存在を前提として、それを積極的に活用しようとする人々が現れます。このようにして、徐々にテレビは報道メディアとしての重要性を確立していき、番記者を中心とした「取材」と「報道」の二面性(取材では政治家と接近し、報道は各社独自の色づけをする)に対抗する勢力となってきました。

このようなテレビの役割を特に印象づけたのが、宮澤内閣不信任から自民党の一時野党転落へと移る一連の動きです。番記者の反対を押し切って行われた「総理と語る」というテレビ番組において、田原総一郎が政治改革を巡る姿勢について質問したのに対し、宮澤総理は「私は嘘をつかない」と発言。この発言が自民党の分裂に大きく影響することになります。さらに、その後の宮澤内閣不信任案の可決と、総選挙では、テレビは公正中立を主張しながらも実際は「非自民政権誕生に向けて報道した」(椿貞良:テレビ朝日取締役報道局長)という当事者の発言があり、このことが選挙の結果に大きな影響をもたらしたと言われています。一方、新聞社の方は番記者の制度に縛られ、自民党の分裂へと向かう若手を中心とした一連の動きを必ずしも充分には捕捉できずにいました。

さらに2000年には、森内閣の低支持率に対して、加藤派の加藤紘一議員が野党の内閣不信任案に同調する姿勢を表明、いわゆる「加藤の乱」が起きますが、ここでもテレビは重要な役割を果たしています。「サンデープロジェクト」に生出演した加藤紘一と野中広務幹事長に、司会の田原氏が総裁選についての質問を投げかけ、詰め寄られた野中氏が「加藤氏が不信任案に賛成せず、補正予算案をはじめとする重要法案を通したら、代わりに総裁選を前倒してもいい」と取れる発言をします。この発言によって、森内閣の早期退陣を求めていた加藤氏の主張は腰砕けの格好となり、加藤氏は不信任案への同調を取りやめることになります。

さらに、小泉内閣の誕生にもテレビは大きな影響を果たしました。 小泉内閣の「応援団長」である田中真紀子氏は、テレビへの出演機会が多く(新聞では登場機会が限られていました)、テレビで自民党執行部を激しく攻撃する発言によって人気を高めた政治家です。その田中真紀子氏と、同じくテレビを中心に郵政三事業の民営化を唱え続けてきた小泉氏が向かう場所には、必ず大きな人だかりができました。さらに、その模様が映像として繰り返し報道され、小泉・真紀子ブームは一種の社会現象にまで発展しました。圧倒的な人気で自民党の総裁に選出された小泉総理は、閣僚としてテレビなどで国民の人気も高い石原伸晃氏や竹中平蔵氏の起用を決定しています。

このようにテレビは、今や政局にまで大きく影響するようになり、派閥の番記者による報道機能はそのあり方の変更を迫られています。しかし、一方でテレビは時間的・内容的制約によって単純な善悪二元論に陥りやすいという欠点を持ち、メインキャスターのコメントによってニュースの評価が一面的になりがちであるという問題点もあります。また、現実には派閥や政党間のやり取りが存在していても、テレビでそれを巧妙に演出することによって人々の支持を獲得することが可能となる、 という危険性も指摘されています。新聞はそのような環境を是正していくメディアとして再注目されていますが、現在はまだその過渡期にあると言えます。

民話とは何か

written by 齊藤 貴義 on

民話とは、民間に口頭で伝承されてきた説話、つまり民間説話の略称です。学校の歴史や国語の教科書では、その時代の文化の特徴を把握するために文学作品などが採り上げられることが多かったと思いますが、文学を創作したり鑑賞したりしていたのは、貴族・武家・豊かな町人などごく一部の知識層です。庶民の文化、とりわけ、文字で書かれた言葉よりも話し言葉が多かった伝統的な農村社会の文化を知るには、口頭で語り継がれてきた民話について知る必要があります。

民俗学では日本各地に存在する民話について膨大な研究の蓄積が存在しますが、民話は文学に勝るとも劣らない豊かな創造性を持っていること、文学に多大な影響を与えていること、同じテーマの民話でも地域によって多彩な変化を見せていること、民話を通じて農村社会の様々な側面が見えてきていることなどが指摘されています。また、民話は必ずしも大昔のものだけとは限りません。現代においても新しい民話が発生することがあり、その代表的な例として「学校の怪談」などがあげられています。民話は大きく、神話・伝説・語り物・昔話・世間話に分類することができます。

神話は、共同体の祭儀の中で司祭者が唱えます。クニ、人間、土地の起源を説く創世神話、神々の活躍を描いた英雄神話など、その共同体にとって疑いえない真実が一定の韻文で叙述されています。日本の神話というと古事記のような文献神話をイメージしがちですが、その土地に土着の神話も日本各地に存在しますし、奄美列島や沖縄には本土とは大きく異なった独特の神話が存在します。

伝説は、古老によって代々伝承されてきた民話です。伝説は神話と同じように人々の信仰対象ですが、その内容は神話のように壮大なものではなく、特定の地名・樹木・岩・建造物に結びつけて語られたり、英雄や聖人の業績を称えるものであったりします。また、神話のような特定の叙述形式は存在しません。例えば過去に悲恋の出来事があったから、この樹木を切り倒すと「たたり」が起きるという言い伝えなどは、伝説に含まれます。

語り物は、専門的な語り手が、祭儀の場所などでしばしば伴奏楽器を伴って演じる民話です。実在したとされる史実に沿って、中世や近世における英雄の業績などが語られます。内容は英雄の悲劇に関するものが多く、人間存在の限界や不幸がテーマとなります。語り方には一定の形式が存在します。

昔話は、語り爺や語り婆が家の炉端で子供達に話して聞かせる民話です。内容は本当に存在したかどうか漠然とした話題が多く、語る者自身も子供用の架空の物語であることを自覚しています。昔話には一定の語り方があり、リズムが存在します。話の途中を省略してはならないし、余計な内容を挿入せず、自分が子供の時に聞いて覚えたとおりに話さなければなりません。また、「昔々あるところに」「トント昔あった」などの決まり文句で始まり、1文が「…したとさ」という伝聞の形で終了し、「めでたし、めでたし」「ドンピン、サンスケ」「一期栄えた」などの決まり文句で終了します。

世間話は、諸国を渡り歩いた人々や、現代ならば情報通の人々によって語られる民話です。世の中で実際に起きたと言われている不思議な話が語られており、語り方に特定の形式は存在しません。民俗学で世間話についての本格的な研究が始まったのはごく最近のことですが、現代の世間話である都市伝説や学校の怪談についても幾つか研究成果が出始めています。

近代ヨーロッパの孤独

written by 齊藤 貴義 on

総合教育特殊講義「共通入門講座Ⅰ」
1998年7月発表

現在、世界を動かす様々なシステムや理念は、近代ヨーロッパの社会的文化的影響を強く受けている。しかしながら、我々は必ずしもヨーロッパの発展の要因を解明したとは言い難い。ここでは、産業革命の衝撃を受けた直後からのヨーロッパを、「孤独」という視点から、様々な側面ごとに分析した。哲学者ニーチェの主張もふまえながら、現代を覆う「近代ヨーロッパ発の危機」の構造を見ていきたい。

近代ヨーロッパの孤独

1.産業革命の衝撃(社会構造の孤独)

(1)前産業社会の崩壊

前産業社会…伝統本位主義的な価値体系の支配する長期準停滞社会
基本的な構図:自然に対するゲーム
人間と自然との関係:人間<自然
時間(生活のリズム):自然のリズム
生産と消費の関係:生産<消費
社会的性格:伝統指向型

(2)プロテスタンティズムに支えられた工業化社会の到来
大量生産(生産の倫理、禁欲の倫理)=大量消費(消費の倫理、禁欲の倫理)
(3)人間の価値が資本に代替される
ブルジョワジーとプロレタリアートの分化
(4)資本蓄積の欲望の拡大


2.帝国主義による世界の一体化(文明の孤独)

(1)先進国の経済が1870年代半ばから「大不況」
中小企業の統合・独占資本主義への移行
商品や余剰資本を輸出するための海外市場を求める
(2)植民地による政治的軍事的統治
(3)人と物の移動がヨーロッパ型近代世界システムを支える
中心−半周辺−周辺の構造(I.ウォーラスティン)
(4)「野蛮の発見」によるアイデンティティの形成
(5)社会進化論の発見

社会進化論… ダーウィンの進化論に基づき、自然と人間活動の全領域において進化の原理を適用しようとする考え。帝国主義時代、社会進化論はその対象を個人から階級、民 族、人種、国家のような集団へ広げる一方、一部知識人の理論的仮説から、疑似科学によって裏付けられた大衆まで含む社会の確信に、すなわち帝国主義時代の 代表的時代思潮となった。

(6)国民国家の制度的矛盾とナショナリズムの創出
「白人の責務」(J.R.キップリング) 「黄禍論」(ヴィルヘルムⅡ世)


3.アジア諸地域の抵抗運動

(1)当初はアジア側のみじめな敗北
(2)腐敗した王権の打倒と帝国主義への理論的抵抗
(3)「伝統の発見」→真理の価値転倒
「ヒンドゥー・スワラージ」(M.ガンディー)

ヒンドゥー・スワラージ…1909年にガンディーが執筆した運動論。基本的な論点は、真の敵はイギリスの政治支配ではなく、近代工業文明そのものであるとする。

(4)ヨーロッパと異なるかたちの「大衆の出現」
<しかし>
(5)必要に迫られてのヨーロッパ社会思想、科学技術の輸入
フランス人権宣言の民族自決への応用
→ヨーロッパ型近代国民国家の模倣
(6)アジア諸国内でも反帝国主義的帝国主義の目覚め
→近代型軍事力の整備、侵略的軍隊の創設
(7)近代的官僚機構による社会構造の合理化
→自由な自我の抑制 「舞姫」(森鴎外)
(8)黄禍論による文明対決の時代へ
(9)帝国主義国としての日本の台頭


4.神の死と超人の出現(哲学の孤独)

ニーチェの哲学展開(「神の死」と「超人」を中心に)
(1)神(最も神聖かつ強力なもの)の抹殺
→無意味、無根拠、人間の新たな時代……
神の死と新たな段階への無知→ニヒリズム
(2)超人思想の要点
1.人間がこれまで持っていた「理想」は、本質的にルサンチマンを内包している。したがってそれは、結局「生の否定」に行き着かざるをえない。
2.「神の死」という事実は、これまでの一切の人間的価値の根拠が抹消されたことを意味する。そのために近代哲学以降の諸価値はニヒリズム的本性を露出させた。
3.このヨーロッパのニヒリズムを克服する方途はただ一つ。古い価値への立ち戻りを禁じ手にして、むしろニヒリズムを徹底すること。つまり既成の価値の根拠を根底的に捨て去り、積極的に新しい価値の根拠あるいは新しい価値の目標を打ちたてることである。
4.新しい価値の根拠とは何か。……「力への意思」ということ。新しい価値の目標とは何か。……「超人の創出」ということ。

「なんのために私達が生きているのか、なんのために苦しんでいるのか、それが分かったら、それが分かったらね!」(『三人姉妹』チェーホフ)

→ニーチェは答える。この問いに答えられる者はもはや誰もいない。この問いの答えは存在しない。世界と歴史の時間にはどんな「意味」も存在しない。そ して、それにもかかわらず君は生きていかねばならず、したがって「なんのために」ではなく「いかに」生きるかを自分自身で選ばなくてはならない。


5.孤独の根元からくるもの(永遠の孤独)

(1)国家へのアイデンティティの追求
(2)孤独の深淵から来る暴力(ファシズム運動、個の暴走……)
(3)アジアにおける孤独の普遍化
(4)「すぐれて合理的であること」と地球規模の問題群
(5)相対化というヒーリング
(6)超人は出現するのか?

『タテ社会の人間関係』を読む

written by 齊藤 貴義 on

大東雄弁会の研究会で発表(98年の後期)

大東雄弁会の勉強局の1つである研究会は、社会を科学的に分析していく視点を養っていくことを目的としている。『タテ社会の人間関係』は、研究会が毎年のように1年生の最初の発表用に指定されるテキストである。

第2章:「場」による集団の特性

1.集団の構成要因
1.資格……社会的個人の一定の属性
2.場………一定の枠によって一定の個人が集団を構成する状態
・資格と場の機能は、その社会の人々の社会認識における価値観に密接な相関関係を持つ(例:日本の社会構造←→インド・カースト)

2.日本では資格よりも場が優先される
例:会社は契約関係にある企業体ではなく、
我々の会社である(主体化された認識)

「イエ」(家)の概念に代表される
「イエ」(家)とは……居住、そして経営体という枠で構成される社会集団。
家集団内における人間関係は他より優先する

3.枠による社会集団は資格を異にするものを内包する
・資格が異なる人々によって構成される集団
→集団内結束力を導き出す何らかの方法の必要性
・理論的、経験的2つの方法
(1)枠内の成員に一体感を持たせる働きかけ
(2)集団内の個々人を結ぶ内部組織の生成、強化
(1)は、集団維持のため、個人の行動のみならず、思想、考え方まで集団の力が入り込んでくる→社会生活と私生活の区別がつかなくなる(例:家族ぐるみの雇用関係)

4.枠の強化、集団の孤立化
・他の枠の同一資格者間に溝、同枠の異資格者に親近感
→「ウチの者」「ヨソ者」の差別意識の表出

5.「ウチの者」「ヨソ者」の特徴
(1)「ウチの者」以外は人間にあらず=ヨソ者どうしの非社交性
(2)集団従属による社会的安定=社交の機能的存在価値の欠如
→「田舎っぺ」(ローカルな)傾向へ

6.人間関係のローカル性は直接接触的であることに結びつく
・集団意識の情的高揚→接触を長期間、激しく保つ必要性
・「去る者は日々に疎し」の人間関係の形成
・海外のコミュニティ……インテリ集団にもかかわらず、日本農村のような日本的特殊性
→海外で浮き上がっている……日本人は構造的に異質
・異質性の原因……日本の社会集団は個人に全面参加を要求する
2つ以上の集団に同様のウエイトを持つことは不可能
(西欧人や中国人は複線所属的保身術、日本人は単線潔癖主義)

7.なぜ単線的なのか?
・場によって個人が所属する場合、現実的に個人は1つの集団にしか所属できない
・「単一社会」……個人の集団帰属、個人と集団を結ぶ関係、全社会での集団のあり方や相互関係が、いずれも一方的である

第4章:「タテ」機能による全体像の構成

1.対立ではなく並立の関係
・日本社会の全体像……横断的な層化ではなく縦断的な層化
・日本の闘争関係……労資対立というよりもA社対B社
→闘争は対立するものとではなく並立するものとの間に生じる
(例:労働組合の構成→「お家の問題」としての限界性)

2.人間平等主義
・日本的イデオロギーの底にあるもの……人間平等主義
→西欧の伝統的な民主主義とは質的に異なる
人間の能力差が認められない→「貧乏人は麦を食え」のタブー化
・人間平等主義の長所……能力、階級にかかわらず、個々人に自信を持たせ、努力を惜しまず続けさせることが出来る
(「タテ」のリンクが上昇へのはしごを提供する)
・学閥による序列システム……刻苦勉励型が出世するという社会的イメージ

3.過当競争による弊害
・下層にとどまる人々の心理的負担とみじめさ
・同類を敵とする社会システム
→「格付け」の形成。集団の孤立性、封鎖性を招く
・日本の工業化にも寄与したが、不当なエネルギー消費の面が大きい

4.ワン・セット構成と政治組織の発達
・日本の組織……分業ではなくワン・セット主義による過当競争
・より大きな統合組織の必要性……中央集権的行政機構の発達
→世界に比類のない徹底した行政網が全人口に浸透
・政治権力の巨大化と国民の恐怖感
→日本人の宗教、哲学の貧困と相まって、政治優先の社会を形成

第6章:リーダーと集団の関係

1.制約されるリーダーシップ
(1)成員管理はリーダー直属の部下が行い、リーダーは調整的立場
(2)「温情主義」による情的関係によって、上も下も拘束される
→リーダーの権限の低下、セクシャリズムや派閥の伸長
・日本で脚光を浴びるリーダーは、個人の力というよりは、集団を中心とした内外の条件に支えられている
→リーダーは集団の一部にすぎない

2.権威主義と平等主義の力関係

↓   ↓   ↓
↓   ↓日  ↓
↓西  ↑本  ↓権
↓欧  ↑的  ↓威
−的  ↑民  ↓主
↑協  ↑主  ↓義
↑調  ↑主  ↓
↑   ↑義  ↑
↑   ↑   ↑

(リーダーと集団成員の力関係)
・戦前は権威主義がしばしば見られ、戦後は民主主義
→いずれも両者の約束による接点が設定されていないため、弊害が相当にある
ルールが設定されていない

4.リーダーの資格
・リーダーは天才でない方がよい……下の者の存在理由維持のため
・年長者であること……「タテ」のリーダーは集団への参加が最もはやかった者がなる(頂点である)
・組織の頂点にあることが絶対の条件に
下の者はとりあえず頂点をたてる以外にない
→しかし、タテ関係の強固な密着が自由な活動の場を提供している
・集団の機能力は、ともすれば親分自身の能力によるものよりも、むしろすぐれた能力を持つ子分を人格的にひきつけ、いかに集団を統合し、その全能力を発揮させるかというところにある
→大石内蔵助的なイメージ

大東雄弁会での活躍

written by 齊藤 貴義 on

雄弁会での活動履歴

benron★東京大学新人ディベート大会(1998年6月27日) 拓殖大学に勝利
★第20回学生新人弁論大会(7月4日) 質問賞受賞
★大東雄弁会ディベート強化合宿(8月27・28日) すべての試合で勝利
★ディベートリーグ1部リーグ決定戦(8月29日) 立教大学に勝利、1部リーグ進出決定
★全関東学生雄弁連盟ディベート夏合宿(9月1日〜3日) 日本大学に勝利、立教大学に勝利、トーナメント戦 優勝
★法政大学春秋杯争奪学生弁論大会(10月17日) 優勝
★第3回ディベートリーグ(10月18日) 日本大学に勝利山梨学院大学に敗れる
★第4回ディベートリーグ(11月8日) 中央大学に勝利立教大学に敗れる
★第3回キング・オブ・ディベート大会(12月6日) 大会史上初の1年生としての参加、東京大学に敗れる
★東京大学総長杯争奪学生弁論大会(12月15日) 上位5名の弁士による「第2の部」まで進出
debate★大東雄弁会12月総会 大東雄弁会の幹事長に選出される
★テレビ朝日「朝まで生テレビ」北朝鮮問題(1999年1月29日) 観客の学生として出演
★第1回ディベートリーグ出場(5月23日) 防衛大学校に勝利、駿河台大学に勝利
★立教大学とのディベート練習試合(5月28日) 立教大学に敗れる
★The Cherry Debate 99(6月5日) 法政大学に敗れる
★第2回ディベートリーグ出場(6月20日) 帝京大学に勝利
★第3回ディベートリーグ(7月11日) 東京大学に勝利
★全関東学生雄弁連盟ディベート夏合宿(9月10〜12日) チューター(審判や指導などを行う)として参加
★テレビ朝日「朝まで生テレビ」公明党問題(9月24日) 観客の学生として出演
★キング・オブ・ディベート準備委員会第1回会合 準備委員に就任(企画・判例担当)
★中央大学花井卓蔵記念ディベート大会(11月1日) 関西学院大学に勝利、東京大学に勝利、早稲田大学と首位になり優勝優秀ディベーター賞受賞
★第4回キング・オブ・ディベート大会(11月28日) 中央大学に勝利、法政大学に敗れる、準優勝、観客特別賞を受賞