「デモクラシーは、頭数を数える方が、頭を叩き割るよりも良いという原理に立っている」(C.ベッカー)
現代の議会政治を支える重要な原理の1つに、「多数決」があります。多数決とは何でしょうか?ここでは、意思決定の方法としての多数決についての情報を収集しています。
多数決と民主主義
民主主義は、民衆の意思を政治に反映させるという理念を掲げています。この理念で考えた場合、すべての人が最も望ましいと思う政策があり、その政策を全員一 致で承認することが最も望ましい状況と言えます。しかし、人々の価値観や利害には様々な差異があり、現実には全員一致による意思決定の成立は難しいといえ ます。このため、意思決定を行っていくために何らかの次善の策が必要となります。そのために考え出された決定方式が、多数者の意思によって決定を行う、多数決です。
多 数決は、多数者の意思の方がより真実に近い(1人の人間の判断力は2分の1以上の確率で正しく、その判断に人々が集まるとより確率が上昇する)という考え 方に支えられていますが、それ以外にも、あらゆる意見を公開の場で自由に討論することによって、その過程で少数意見の視点も採り入れ、より多くの賛同を可能とする政策を導き出していける可能性があるという利点もあります。現在、多数決は民主主義にとって欠かすことのできない意思決定方式となっています。議会における決定はほとんどが多数決に依存しています。では、この多数決(あるいは多数決を取り巻く状況)には問題点はないのでしょうか? 以下の項目では、この点を検証していこうと思います。
多数決のパラドックス
身 近な例で考えてみましょう。Aさん,Bさん,Cさんの3人が今度の休日に一緒にどこかへ行こうという話をしていたとします。問題はどこへ行くかです。沢山の候補地があがっては消え、何とか遊園地・動物園・美術館の3つまで絞り込むことに成功しましたが、困ったことに、ここで3人の好みが次のように分かれてしまいました(>の記号は、左の場所を右の場所よりも行きたいと思っている、という意味で使っています)。
Aさん・・・遊園地>動物園>美術館
Bさん・・・動物園>美術館>遊園地
Cさん・・・美術館>遊園地>動物園
それぞれ3つの場所は遠く離れているので、1つに絞らなければなりません。そこで、多数決で行く場所を決めることにしました。まず、遊園地か動物園かについて決をとってみたとします。上の選考順位を見てもわかるように、AさんとCさんは動物園よりも遊園地へ行きたいと思っていて、Bさんのみが動物園に行きたいと思っています。このため、2対1で遊園地に絞り込まれました。次に、残った美術館と先ほど選ばれた遊園地について決をとったとします。BさんとCさんは遊園地よりも美術館に行きたいと思っていて、Aさんのみが遊園地に行きたいと思っています。したがって、最終的に美術館へ行くことが決定しました。
・・・ と、何も問題がないように見えますが、実はここには隠れた矛盾が存在します。最初の段階で選択肢から除外された動物園と、最終的に行くことになった美術館とを比べてみたらどうでしょう? なんと、AさんとBさんは美術館よりも動物園の方へ行きたいと思っており、美術館へ行きたいと思っているのはCさんだけなのです。つまり、動物園よりは遊園地、遊園地よりは美術館、美術館よりは動物園、動物園よりは遊園地・・・という具合に堂々巡りになってしまっているのです。このように、多数決で決定した場合にそれが合理的な答えとならない場合があります。多数決には一種のパラドックス(逆説)があるのです。
先ほどの遊園地・動物園・美術館の例を使って、もう1つ考えてみましょう。今度は7人のグループで行き先を決めようとしていると仮定します。それぞれの選好順位は、以下のとおりです。
Aさん・・・遊園地>動物園>美術館
Bさん・・・美術館>遊園地>動物園
Cさん・・・美術館>遊園地>動物園
Dさん・・・美術館>遊園地>動物園
Eさん・・・動物園>美術館>遊園地
Fさん・・・動物園>美術館>遊園地
Gさん・・・動物園>美術館>遊園地
さて、この場合に遊園地と動物園で決を採ったとすると、A〜Dの人が動物園よりも遊園地を好み、E〜Gの人が動物園を好んでいます。したがって、結果は4対3で遊園地>動物園となります。そして、動物園と美術館を比べると、AとE〜Gが美術館よりも動物園の方を好み、B〜Cのみが美術館を好んでいるので、動物園>美術館となります。これら2つの結果を総合すると、遊園地>動物園>美術館となるはずですが、ここにもパラドックスが存在します。それは何でしょうか?実は、遊園地>美術館と思っているのはAだけで、あとの6人は全員が美術館>遊園地と考えているのです。多数決の持つこのパラドックスは、多数決が全てにおいて合理的で民主的な決定をもたらすものではないことを証明したものと言えます。
リンカーンはダグラスに負けていた?
ある選択肢が、他のどの選択肢に対しても勝利するとき、その選択肢はコンドルセ勝者と呼ばれます。先ほどの、遊園地、動物園、美術館の例のように(・・・>美術館>遊園地>動物園>美術館>・・・のように)選択肢が循環し ている場合は、コンドルセ勝者は存在しないことになります。では、このような循環(多数決のパラドックス)は、どれくらいの確率で起きるのでしょうか。も し、発生確率が無視できるほど小さいものであるならば、循環はあまり重要な問題ではないでしょう。しかし、その発生確率が高いのであれば、多数決を巡る問題は深刻さを増すことになります。1960年代から70年代にかけて、数多くの人々がこの発生確率を検証してきました。その成果をふまえて、ゲアラインという人が、「あらゆる個人的順序が等しい確率で現れる」という仮定のもとに、コンドルセ勝者が存在する確率を計算しました。それが以下の結果です。
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驚 くべきことに、選択肢が13で投票者が7人の場合、2回に1回の割合でしかコンドルセ勝者は存在しません(2回に1回、循環が起きる)。選択肢が25で投 票者が15人の場合は、10回中7回も循環が発生することになります。また、この結果から、循環の発生確率が投票者数よりも選択肢数によって大きく左右さ れることが見て取れます。ただ、すべての個人的順序の出現率を等しいとせず、投票者が類似した選好を持つと仮定すると、循環の発生確率は低下することにも 注意が必要です。
歴史上、この循環が発生した事例はいくつか確認されていますが、その中の1つにリンカーンを選出した1860年のアメリカ大統領選挙が あります。この選挙には、リンカーンの他に、ベル、ブレキンリッジ、ダグラスが立候補していました。各候補の得票数と支持者の分布をもとに、全米の選挙民を15のグループに区分して、それぞれの規模を推定したものが下の表になります。この表は、上に位置する者の方が、下に位置する者よりも選好度が高いこと を意味します(リ:リンカーン、ベ:ベル、ブ:ブレキンリッジ、ダ:ダグラス)。
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そしてこの結果を元に仮想的に候補の2項比較(2人だけを析出して勝敗を競う)を行ったのが、下の表になります。この表は、赤い字の候補の方が、青い字の候補よりも好ましいと考える人々の数を表しています(赤い数字は2項比較での勝利)。
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こ の表を見ると、リンカーン・ベル・ダグラスが循環の関係になっていることが分かります。リンカーンは選挙に勝ちましたが、ダグラスとの2項選好比較では 2,165対2,516で負けているのです。さらに、そのダグラスは、ベルとの2項比較で2,265対2,416で敗れています。そしてベルは、 2,139対2,542でリンカーンに敗れています。つまり、有権者の選好は、・・・>ベル>ダグラス>リンカーン>ベル・・・という循環にあったわけです。リンカーンは1人の少女のアイディアをきっかけに、あごに勇ましいヒゲを生やし、劣勢だった選挙戦から逆転勝利をつかんだと言われています。しかし、この結果を見るかぎり、有権者は必ずしもリンカーンを一番に支持していたわけではないと言えそうです。
